大和特攻「天一号作戦」が決まった異例の経緯

【半藤】大和特攻について『小柳資料』では、昭和二十年八月、軍令部勤務から第五航空艦隊長官となった草鹿龍之介中将が、まことに重要な証言をしています。ポイントはふたつ。ひとつ目は、作戦決定の経緯です。機微に触れる内容を、つぎのようにしゃべっています。

すると日吉から電話が掛かって来て「大和以下の残存艦艇(大和、矢矧やはぎ、駆逐艦八隻)を沖縄に斬り込ませることに決まったが参謀長の御意見はどうですか、豊田長官は決裁ずみです」とのことであった。

実は第二艦隊の使用法に就いては、私はかねがね非常に頭を悩ましていた。全軍特攻となって死闘している今日、水上部隊だけが独りノホホンとしている法はないと主張するものもあったがまぁまぁと押さえていた。何れは最後があるにしても最も意義ある死所を与えねばならぬと熟慮を重ねていた際とて、この電話を受けたときはぐっとしやくに触[障]って「長官が決裁してからどうですかもあるものか」となじると「陛下も水上部隊はどうしているかと御下問になっています」と云う。「決まったものなら仕方ないじゃないか」と憤慨はしたが、更に悪いことには鹿屋かのやから第二艦隊に行って長官に引導を渡してくれと云う。この特攻隊が途中でやられることは解り切っている。それをやれと云うのは真に辛いことである。

伊藤第二艦隊長官には既に覚悟は出来ていると思うが、これは真に止むに止まれぬ非常措置であるから、萬が一にも心に残るものがないよう喜んで出撃するよう参謀長から決意を促して貰いたいと云うのである。

黒煙をあげて沈没する戦艦大和(写真=Naval History and Heritage Command/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

天皇から「水上部隊はどうしているか」と問われ…

【半藤】草鹿は名を伏せていますが、電話をかけてきた連合艦隊司令部の人間とは、神重徳大佐です。神重徳は渋る草鹿を説得するため、この決定に天皇の発言が影響したことを口にしている。現場の指揮官にとって、これはもう有無を言わせないひと言でした。

私はこのときの連合艦隊司令長官、豊田副武に聞いたことがあるんです。豊田も、「自分も当初は渋ったんだ」と言っていました。実は、軍令部総長の及川古志郎大将が、沖縄戦の直前に上奏したときに、お上から「水上部隊はどうしているか」と問われ、「もちろん出します」と答えてしまったために、出さざるを得なくなってしまったという。このことについて、当の及川古志郎は一言も書き残していませんがね。

【保阪】及川が天皇の意思を忖度そんたくしてしまったということでしょう。宇垣纏は、自分はそう聞いたと書いているというのですが、確認はとれていない……。

宇垣は昭和二十年二月に第五航空艦隊司令長官に就任して、沖縄戦での航空総攻撃作戦、「菊水作戦」を指揮することになりました。こうして見ると、神重徳は大和特攻の理由づけのために、この天皇の言葉を都合よく利用した可能性もあります。けれど、草鹿はこの決定についてトップの決定以前に本当に知らされていなかったのでしょうか。