盾(日本)と矛(米国)の関係の変化

――日米同盟についてもうかがいます。「安保3文書」について、メディアなどでは日米同盟が「新たな段階に入った」「盾(日本)と矛(米国)との関係から、日本が矛の一翼を担うようになった」とする解説もありました。どのあたりが変わったのでしょうか。

構造的には必ずしも変わっていないと思います。いわゆる矛としての米軍というのは、言ってみれば核を含む圧倒的な軍事力で相手に対して打撃を加える能力を持つ、ということですよね。これは今も自衛隊は持っていませんし、持つこともできません。

反撃能力については国会で岸田総理も仰っていたように、「盾の役割は変わらない」。

有事になった際に自衛隊は盾として国民や本土を守るのに加え、米軍が作戦を展開する拠点、沖縄、岩国、横須賀などの防衛も担います。拠点を守ることで米軍が打撃力を行使できる状況を守る。つまりミサイルを撃たれるままにしていては、国民はもちろん、拠点も守れないので、反撃能力によって拠点を守る能力を高める。これはいわば「盾の補強」です。

――憲法議論になると、改憲派は「自衛隊は9条に手足を縛られていて何もできない!」という意見になりがちなのですが、実際のところはどうなのでしょうか。

もちろん、今の憲法解釈ではできないこともあります。ただ『ここまでできる自衛隊』(秀和システム)にも書いたように、あくまで我が国を防衛するだけであれば、相応のことはできるようになってきてはいます。

「自衛隊は9条に縛られて何もできない」は本当か

現時点での問題は、集団的自衛権をフルでは行使できないことです。政府は2014年に閣議決定で集団的自衛権の行使を一部容認し、2015年に平和安全法制を成立させましたが、これは極めて限定的なものであり、その後の議論はあまり進んでいません。

国際法上の集団的自衛権とは「一国に対する武力攻撃について、その国から援助の要請があった場合に、直接に攻撃を受けていない他国も共同して反撃に加わるための法的根拠」ですが、日本の場合は援助要請だけでは武力を行使できないことになっています。

日本が現行憲法の下で武力行使ができるケースとして、日本の国土を侵され、国民の生命や財産が脅かされる事態から守るためである、との見解が1972年に出されています。しかし当時は他の国が攻撃されたときに日本国民の安全も脅かされるという事態は想定されず、ゆえに集団的自衛権は認められないとされてきました。

2014年の閣議決定で集団的自衛権の限定的な行使は認められる、と憲法解釈の変更が閣議決定されたのは、日本以外の国が攻撃されたからといって、日本国民の生命財産が脅かされないとは言い切れないのではないか、という観点からでした。

こうした事態に何もしなくていいのか、いや何とかしなければいけないということで、集団的自衛権は限定的であれば行使できるというロジックを編み出して、憲法上も問題ないということにしたのです。