感情が先か、論理が先か

もう少しロジカルな憲法学の理屈を考えてみると、「そもそも憲法は国の暴走を止めるためにある」という前提があり、政府も憲法上の制約から、自衛隊の能力を「国を守るための必要最小限度の実力にとどめるよう制限しなければならない」としています。

しかし、「自衛隊が持てる実力は必要最小限度」という言い方は、なかなか考え方が難しいのも確かです。

実際には、相手国の軍事的水準や周辺の安全保障環境の動向によって「どの程度が必要最小限度なのか」は変動するのですが、憲法が国の暴走を抑えるための「枠」だと考えると、枠が変動してしまうのはどうも心もとないんですね。

「状況次第で日本が持てる軍事力が上下するようでは、枠を嵌めていることにはならない」と。これはこれで、その理屈はわからないではありません。

――相手国の軍事増強を口実に、日本がものすごく軍拡を行うのではないかという疑いがある、と。

蟻の一穴で、少しでもその枠の拡張を許せば際限がない、と捉えている人もいるでしょうし、周辺国の軍拡は事実でも、それに付き合っていたら軍拡競争になるとの懸念もあります。

しかし軍事的には、相手が力を持っている以上、拮抗状態を保たなければ、いつかそのバランスが崩れて軍事侵攻が起きるとも考えられます。

また日本の場合、政府が攻撃的兵器は持たないという一線を引き、守っています。枠という意味で言えば、この枠は機能していますよね。

攻撃的兵器ではない根拠

――軍事や兵器の素人には、攻撃的兵器とそうでないものの区別がつきません。「反撃とはいえ、敵基地を攻撃できるのに『攻撃的兵器ではない』とはいかに?」と。

確かにそれはあって、例えばいずも型護衛艦が多用途護衛艦に改修されるとなった際にも、「攻撃型空母になる。憲法違反だ」という意見が相当出ました。

海上自衛隊の艦隊(2014年)
写真=iStock.com/viper-zero
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しかしこれも定義に照らせば誤りで、攻撃型空母というのは攻撃機を多数搭載し、相手国の領土にもっぱら壊滅的な打撃を与えるためのものです。いわば核搭載可能な航空機を多数、載せられるものを指します。ですが、改修後もいずも型はこれには当てはまりません。

詳しくない方からすると「兵器はどれも攻撃を行うもの、だから自衛隊が保有するのは憲法違反だ」となってしまうのは仕方がないかもしれませんが、国家の防衛政策を論じる際には、きちんと区別する必要があります。