「文学部の教授」だから人格が高潔とは限らない

三宅 古市さんは小説も書かれていますが、やはり批評性を感じます。

古市 小説を書くなら、他の作家とは違う自分なりの立ち位置は意識しますね。小説でも批評でもノンフィクションでも、多くの読者は僕と同じように、作家の考えを聞きたくて本を読むのではないでしょうか。その意味で、あらゆる本はファンブックなんじゃないかとも考えています。

三宅 「すべての本はファンブック」は同感です。本のいいところって、WEB記事と違って書いた人がわかること。

私の場合、ある情報を知りたいというより、「この人の意見を聞いてみたい」「この人は雰囲気が合いそうだ」と作家に注目して本を選ぶことが多い。もちろんWEB記事も誰かが書いていますが、書いた人が前面に出てくるものは少ない。本のほうが、書いた人の考えが入ってきやすい気がします。

古市 ファンになるかどうかは読むまでわからないですよね?

三宅 読んでみて想像と違うことは多々あります。でも、裏切られることも本を読む醍醐味の一つだし、むしろ裏切ってほしいとさえ思います。

世間では本の効用について、人生が豊かになるとか人格形成に役立つと言われています。でも、本を途方もなく読む文学部の教授を見ていると、けっしてそんなことはない(笑)。

ならば本を読むメリットはどこにあるのか。

それは、作者が自分の価値観と戦ってくれることでしょう。普通に生活していると、まわりの家族や仕事仲間と価値観がある程度似通ってきます。それは心地いいことだけど、一方でそのままでいいのかなという疑問もあるわけです。

そんなときに本を読むと、作者が別の価値観を提示してくれて、自分の価値観が影響を受けたりする。いいほうに変わることもあれば、悪いほうに変わることもあります。でも、どっちだっていいんです。

私の一冊目の書評集は『人生を狂わす名著50』というタイトルにしました。このタイトルには、いい本は良くも悪くも自分の価値観を揺るがせるという思いを込めました。そこに読書の一番の魅力があるのではないでしょうか。

古市 現代は、一人の人と何時間も向き合う機会が少ないですよね。仲のいい友達でも二人きりで一晩語り合うことはあまりないし、大人になればなるほどその機会も減ってきます。その点で、本は稀有けうなメディアです。

テレビやYouTubeの番組はカジュアルに楽しめますが、そのぶん出演者と視聴者の関係もカジュアルです。一方、本やラジオは発信する人とじっくり向き合える。しかも、本は亡くなった人とも語り合うことが可能です。

そう考えると、AIの時代になっても、読書はユニークな体験であり続けるのではないでしょうか。

(構成=村上 敬 撮影(人物)=小田駿一 撮影(書籍)=早川智哉)
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