定年後のプランは、自分の好き・得意に従うのが大前提

まだまだあります。

学生時代の専攻分野をリソースとして活用する。以前やりかけて中断してしまったものに再挑戦する。自分自身が受けた治療・リハビリテーションの経験をベースにして活動する。

こうしたものも知識・経験のリソースと言えるでしょう。

ふたつめのリソースは「道具としての能力リソース」です。これは、英語などをはじめとする語学力や、PCスキル、文章力など、目的のことを行うための道具として使える能力を言います。

みっつめは「人脈のリソース」です。男性の場合、定年とともにそれまで築いてきた職業関係の人脈がぷっつりと絶たれてしまうことがあります。それは仕事という利害関係によって結ばれていた関係だから、致し方がないと言えばそれまでです。

しかし、人生100年時代を生きるには、人脈は重要なリソースです。仕事の利害関係から解放されたのですから、もっと自由に人とつながり、輪を広げることを楽しみながら、上手にやっていきたいものです。

もうひとつ、「環境的リソース」を入れておきましょう。

やろうとする取り組みがあっても、地域に続けやすい環境がある程度整っていなければ困難な場合もありますので、確認しておくといいでしょう。

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こうした各リソースの状況を洗い出し、ここに「これからどんな人生にしたいのか」「時間や予算はどれくらい使えるのか」「体力や健康状態はどうか」など、加味して考えていくとよいでしょう。

こうした検討は不可欠ですが、定年後どう生きるかの方向性を見定めるには、何よりも自分の好き・得意に従うのが大前提ということをお忘れなく。

自分にとっての師匠を見つける

師匠をもつ――らくらく学習のコツ②

本書の序章で取り上げた伊能忠敬。わたしが彼の生き方のなかで強い感銘を受けるのは、自分より20も年の離れた若い天文学者を師匠としたところです。

みなさんならどうでしょうか。これから先、師匠を探す努力ができますか? 自分よりどんなに年が離れていようが、その才能と業績を認め師と仰ぐことはできますか?

「ちょっと難しいな」という声も聞こえてきそうですが、わたしはぜひ、みなさんに師匠をもってほしいと思うのです。

わたし自身、老年精神医学の分野でも精神分析の分野でもいい師匠に出会えたことで一流になれたと自負しています。精神分析の師匠はアメリカの一流の学者ですが、コロナ禍で中断していますが、長い間3カ月に一度、教えを乞いにロサンゼルスに通っていました。

これは自分が志す道について、わかりやすくガイドしてくれる人がいると、格段に進歩します。

そして師匠のもとで精進を積み習得したことが、やがて自分の一部となるとき、それは確実に自信につながります。

ここで言う師匠は、直接会って教えを乞うという関係だけに限りません。

直接会うことがかなわない場合でも、自分で「この人を師匠としよう」と決めてしまってもいいのです。著作を読んで感想を送ったり、講演会に足を運んだり、あるいはいまの時代でしたらSNSでコンタクトを取ることも可能です。