「お前は何ができるか」が問われる
私も年齢を問われることがなかった。出身地は聞かれたが、出身大学は聞かれなかった(言っても分からなかっただろうが)。
職種すら聞かれなかった。何週間も一緒に仕事をして、一緒に仕事をしていた仲間が看護師だったとか、医者だったと事後的に分かったりした。
必要なのは「お前の職種はなにか」ではなく、「お前は何ができるか」であった。患者のためのトイレを作れる者はトイレを作り、薬を入手できる者が薬を入手し、ウイルス検査のできる者が検査をした。職能も職種も所属も異なるが、我々は一つのミッションでつながる一つのチームであった。
これが、日本の医療現場ではそうはいかない。
まず聞かれるのは職種だ。医者なのか、看護師なのか、薬剤師なのか。ついで、年齢。さらに、職名(部長だとか、教授だとか)、あるいは出身大学である。
日本では「何ができるか」を聞く前に、「お前はどこに所属するのか」を問う。そして、相手を敬語で呼ぶべきなのか、タメ口をきいていいのか、ふんぞり返ってマウントを取っていいのか、へりくだって振る舞うべきなのかを査定する。所属を同じくする「仲間」同士で集まり、所属が異なる人とはつるまない。ひいてはこれが、“学歴社会の土壌”となる。
差別主義者が多い医療従事者たち
ところで、医者には案外差別主義者が多い。ちょっと意外な事実である。医療に従事する医者はヒューマニストたるべし、と一般には考えられているからだ。ヒューマニストと差別主義者は相容れないはずではないか。
白衣式という習慣を持つ医学部は多い。医学生が病院の臨床実習を始める前に、白衣を着用してヒポクラテスの誓いなどを唱和するのだ。
ヒポクラテスは古代ギリシヤの「医聖」と言われた人で、医療倫理の原則をまとめた「ヒポクラテスの誓い」で特に有名だ。もっとも、この「誓い」そのものは、ヒポクラテス以外の人物が後世書いたという説もあるが。
ヒポクラテスの誓いには、「患者に利すると思う治療法を選択し、害する治療をしてはならない(do not harm)」とか、「他人の生活についての秘密を遵守する」(守秘義務)といった、今日でも通用する医の倫理原則が列記されている。その一方、「流産させる道具を与えない」といった現在でも議論の続いている言葉もある。ヒポクラテスの誓いを字義通りに遵守することが「医の倫理」であるとは限らないが、いずれにしても医者は倫理的であることが求められ、よって差別主義者であってはならない……はずだ。
しかしながら、医者の言動を観察していると結構差別的な発言が目立つのに驚かされる。近年はSNSで差別的な発言を繰り返す医者が目立つようになった。たいていは匿名のアカウントを使っての差別発言である。