一条天皇の辞世の歌は彰子宛てではなく定子を想ったものか

それから11年後の寛弘8年(1011)6月、一条天皇は32歳で崩御することになります。『栄花物語』では、崩御の3日前に出家した際の天皇の詠歌を記しています。

露の身の仮の宿りに君を置きて家を出でぬることぞ悲しき(『栄花物語』)

(現代語訳)「露のようにはかないこの身が仮の宿としていた現世に、あなたを置いて出家してしまうのは悲しいことです」

これを現世に残る中宮彰子に詠んだ歌とするのは、おそらく『御堂関白記』で道長が書いたことを受けたもので、『権記』に記されたこととは異なっています。3つの資料は一条天皇が和歌を詠んだ状況や歌の言葉に少しずつ違いがあるのです。一条天皇の側に長く仕えていた藤原行成の日記によれば、辞世の歌は天皇が崩御する前日に定子に寄せて詠んだもので、その時、この歌を聞いた人々で涙を流さぬものはいなかったということです。

一条天皇像、江戸時代[画像=真正極楽寺蔵/『別冊太陽 天皇一二四代』(平凡社)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

一条天皇と定子の純愛は、『源氏物語』の桐壺帝と桐壺更衣のモデルになったという考え方もあり、平安の昔から現代まで多くの人の心をとらえる悲恋の物語となっています。

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