「感動ポルノ」は視聴者や社会が成熟した証し

その後、それまでもあった「障害者による挑戦企画」の割合が多くなっていき、タレントと一緒に挑戦したり、タレントが応援にかけつけるといった要素が加わり、もうひとつの軸となっていく。時にそれが「障害者なのにがんばっている」といった上から目線を感じさせたり、「障害者は善良なもの」といった画一的な視点が見られることから、「感動ポルノ」などと評され批判を浴びることも少なくなくなった。

それは皮肉にも「24時間テレビ」がまいた種によって社会が“成熟”し、障害者への見方が変わっていった結果ともいえるのかもしれない。

常識にとらわれない「サライ」後の「世界に一つだけの花」

もうひとつの“転機”といえるのが、1995年。阪神・淡路大震災が起こったこの年、チャリティー・パーソナリティに起用されたのがSMAPだった。SMAPがその後、チャリティーに対し積極的かつ継続的に取り組むきっかけの一つになったに違いない。

「24時間テレビ 愛は地球を救う」の愛知県名古屋市久屋大通公園募金会場の裏手の風景。(写真=Gnsin/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

その後、徐々にジャニーズ事務所のアイドルがチャリティー・パーソナリティ、あるいはメイン・パーソナリティに起用されることが多くなり、2003年以降は、毎年恒例となった。その流れを決定づけたのが2005年だろう。

草彅剛、香取慎吾がメイン・パーソナリティに起用されたのだ。他のSMAPメンバーも随所に登場し、番組を盛り上げた。中でも強烈なインパクトを残したのが番組のエンディング。1992年の誕生以来、「サライ」の大合唱で番組を締めるのが恒例になっていたが、この年は「サライ」の後に別の曲が流れた。

「世界に一つだけの花」である。

これを提案したのはSMAPのマネージャーとして辣腕を振るっていた飯島三智だと、構成作家としてこの回に参加していた鈴木おさむが明かしている(『週刊文春』2024年2月8日号)。いつの間にかできあがった“常識”に囚われず、視聴者が見たいものを提示するというテレビの“原点”に立ち返ったのだ。この年、いまだ破られていない歴代最高視聴率19.0%を記録した。