教科書に書かれている「今」は3年前
呪縛その④ 教科書という「過去のこと」を大事にする
基本的に教科書に書かれているのは過去のことです。だいたい、教科書をつくるのに3年かかります。文科省に申請してから執筆し、提出し、検定意見を聞いて再修正などをして検定に合格し、印刷そして全国に配るまで、最低3年かかるのです。社会の変化がゆっくりな時代には誤差の範囲でしたが、変化の速い現代にあっては、3年という時間は「ひと昔」より長いかもしれません。
科学技術も世界の政治・経済も劇的に変わっています。過去の常識が現代に生きる我々にとって役に立つ割合が下がっています。逆に過去の常識が足をひっぱることもあるでしょう。
昔はこれくらいのことを言ってもセクハラにならなかった。しかし今は性差別になる、年齢、人種差別になるということがいっぱいあります。あるいは、日本は経済大国だという思い込みが、経営者の経営方針を誤らせているということもあります。
人間の記憶には、過去の記憶、「残像」が残ります。過去の成功体験から脱却できない経営者がいっぱいいます。過去のケースを学ぶのは大事で、参考にはなるけれど、それを金科玉条のごとく守り、更新しないでいると、判断を誤ることになるのです。
デジタル社会でも紙ベースで試験を行う
また、今までの教育は圧倒的に文字情報中心の学習スタイルだったことも教科書を大事にしすぎることにつながっています。これは学校が普及したときのテクノロジーに由来しています。タブレットもコンピュータもなく、紙での学習がすべてでした。
日本の江戸時代の寺子屋では活版印刷ではなく、手書きの版を刷り教科書がつくられていました。明治時代になっても、文字情報中心の授業が行われるようになりました。
教科書というものが主な情報源で、文字情報中心の紙ベースの情報、また試験は紙と鉛筆によって行われる、というように、学校教育は圧倒的に文字を中心に成り立っていました。そして、デジタルなどのテクノロジーが進化している現在になっても、ほとんどの学校で紙ベースの文字情報中心授業、そして試験が行われているのです。
いまだに試験と言えば、マルチプルチョイスの問題を与えられ、選択肢を選んで答える、短答式・記述式で答えるというのがほとんどです。大学入学共通テストも基本は紙ベースです。ほとんど文字情報中心で行われています。
人間には人によって異なる「学習スタイル」があります。そのため、文字情報を処理するのが得意な人には非常に向いている制度ですが、それ以外の能力を持っている人がこの学校制度に不適合を起こすのは極めて自然なことだと思います。
アカデミックな業績も、論文という文字情報に依拠したものでしか評価されない、というのも時代錯誤的です。音楽や映像、VR、AR、CGなど、論文以外の業績も、学術的に評価する仕組みが整備される必要があります。