高校・大学の卒業率が高いカラクリ

また、ある通信制の高校では「レポート提出」という形での授業がほとんどでした。これは本当に驚きました。教科書の記述を右から左に穴埋めで写し、たとえ何も理解していなかったとしてもレポートが仕上がる形式になっています。

ほぼ自動的に100点満点になるテストで成績がつけられ、5がつき、これで卒業できてしまいます。考えもしなければ、記憶もしない。形の上での高校卒業資格は得られますが、ここまで形骸化していたのかと驚愕しました。

また、今は大学においても実際のところ、出席していなくても単位を簡単にあげ、卒業させてしまいます。私が教鞭をとっている京都芸術大学では単位を落として留年する学生がいますが、留年する学生が極めて少ない大学では、あまり質の高くないレポートでも単位を与えて、卒業させているのではないかと推察されます。

そのような面で考えると、慶應義塾大学の通信教育課程など、卒業率の低い学校は品質保証という意味ではとても高いと言えるでしょう。

能力が身についてなくても「大卒」になれる

学校に通ったら卒業したことになり、それなりの力がついたことになってしまう。でも実際は学校を卒業したときに身についているはずの能力が身についていない……。

文科省の文言通り、「大学卒業」という言葉を考えたときに胸を張れる大学は、本当に一握りかと思います。そうした歴史の中で私たちは生きてきたのです。

学校中心の教育を受けていると、どの学校に入るかということが目的になってしまいがちです。そのため、「本意ではない」学校に進んだときに、思わぬ罠に陥りやすくなります。自分がやりたいことがはっきりとしないまま学生生活を送り、その後の進路を決めるときにも何をやりたいのかがわからなくなる。こうした学生は今も多く見かけます。

また、振り返ってみて「あのときから自分の人生は狂ってしまった」と嘆く人は少なくありません。努力の末に、「本意」だった第一志望校に進んでも、学校にさえ行けばなんとかなるという考えであれば、入学したあとに同じような罠にかかってしまうのです。