自分が残業も苦にならないので部下にも同じ働き方を求めた

西郷隆盛が薩摩藩主・島津久光を「地五郎じごろ(薩摩弁で田舎者)」と揶揄したように、「そんなことも知らないんですか」などと周囲の人を見下すようなことも過去にはありました。

さらに、織田信長ほど過激ではありませんが、深夜残業や休日勤務も苦にならない私は、同僚や部下にも同じような働き方を求めたこともありました。

写真=iStock.com/PonyWang
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もちろん、そんな態度や言動をとっても、何もよいことはありませんでした。むしろストレスを増幅させてしまいました。

イライラして部下に辛く当たっても、素直に意見を聞き入れて、動いてくれることはありません。それどころか、潮が引いていくように、部下の心が私から離れていくことがよくわかりました。

そんな苦い経験をするうちに、自己中心的だった自分自身を客観視できるようになったのです。

自分の好みに引っ張られるのも、イライラして辛く当たるのも、自分と同じような働き方を求めるのも、すべて自己中心的で独善的な考え方に執着していたから。そして、そんな自分にうすうす気づいていながらも、自分の負の面を認められなかったのです。

そんな自分の姿が、西郷隆盛や織田信長の負の面と重なったのです。

自分の負の面を見つめないと人間として成長できない

歴史学者・家近良樹さんの著作『西郷隆盛 維新150年目の真実』を読んで、西郷が島津を「地五郎」呼ばわりしたことも災いして遠島になった際、自分のこれまでを反省し、人格者として磨かれたと知り、西郷の心境が自分自身に重なりました。

うまくいかないことについて、自分に問題がないかを考えなければ、人間的に成長しないと気づかされたのです。

いまでも、そういう傾向がまったくないとは断言できませんが、以前よりは自分を客観視できるようになり、ちょっと性格が合わない人でも、心を落ち着かせて真摯に耳を傾けられるようになったと思っています。

そのように変わったのは、相手の立場や心情を考えるようになったこと、自分が完璧なわけではないと悟るようになったこと、それに「役(立場)を演じる」という意識が芽生え、思ったことを直言しなくなったことも理由としてあります。

歴史上の偉人であっても、私と同様、不完全な面があります。

そして、不完全なところからどのように成長したのかに学ぶとともに、不完全なままだったことが招いた失敗を反面教師にすることが、歴史に学ぶ醍醐味だと感じます。

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