「娘と地獄まで付き合う」という覚悟があったのか
「入室早々、全裸になったAさんを浴室に誘導した瑠奈は、SMプレイを装ってアイマスクで彼の視界を塞ぎ、両手を後ろ手にして手錠をかけた。そしてハンディカメラを用意する。
『お姉さん(Aさん)が一番、反省しなきゃいけないのは、私との約束を破ったことでしょ』
言葉と同時に、瑠奈の殺意が爆ぜる。刃渡り約八・二センチの折り畳みナイフを、Aさんの背後から右頸部に何度も突き立てた。(中略)その後、瑠奈は用意していたノコギリを使い、約十分でAさんの頭部を切断した」(文春)
先の祖父がこうもいっている。
「病気のある瑠奈を大切にしていたのは分かる。『修さ、抱え込んだってダメなんだよ』って言ってきたけど、うちの子はこういう症状が出るから、これでいいんだと。ドライバーさんとか呼ばれていたっていうのも、従属してるんじゃなくて、そうやって瑠奈に付き合ってあげていたんだろう。殺人まで起こすなんて、二人とも分かってなかったと思う」
だが、精神科医の父親と、やはり学歴のある母親が、なぜ、娘の鬼畜のような行動を止められなかったのか。娘と地獄まで付き合う。そういう覚悟があったのだろうか。
これを読みながら、私が週刊現代の編集長だった1997年5月に起きた「少年Aの事件」を思い出していた。
小学6年生の時にAが作った異様な作品
中学校の正門の上に小学4年生の男の子の頭部を置くという残忍な犯行は、世の中に大きな衝撃を与えた。その前には小学生の女の子をハンマーで殴り殺している。
さらに不敵にも「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけたのである。メディアも総力を挙げて取材合戦を繰り広げた。だが杳として犯人像を絞り込めなかった。
それから約1カ月後、私はタクシーの中で逮捕の一報を聞いてのけ反った。14歳の少年だったのである。
事件の詳細は省くが、事件から2年後に少年Aの母親(父親も書いてはいる)が手記『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版した。
その中にこのような記述がある。
「学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは、小学六年生のときでした。『粘土の固まりは人間の脳です』と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして、夜七時頃に家を訪ねてこられたのです」
「当時は(温度計を万引きした=筆者注)その理由が分からず、ただただ不思議でした。でも、その頃Aが、猫を解剖したり、温度計の水銀を集めて猫に飲ませたりしていた、と逮捕後の報道で知り、頭を何かで殴られたような気分になりました」