不正を糾弾するだけでは意味がない

【中原】しかも現場では、限られた時間や生産性の中で国内のみならず海外向けなどさまざまな試験をクリアしなければならない。その中で認証をクリアする方法を考えた結果、「より厳しい基準」である1800キロで試験を行うことは合理的だと考えた。

決められたルールをその通り守ることも大事ですが、こうした「現場での経済合理性」も、確かに追求すべきことではあります。

この二つは、繰り返すように国交省とトヨタの「正しさ」の差分なのですが、その差分は複数の基準がある以上、ある程度出てきてしまうものです。それを「不正」と言われるなら、「完全に撲滅するのは無理だ」というのが豊田会長の言い分です。

双方にとってもっともよいのは、国交省が言及している国際基準を追求した国交省の基準と、出荷先で求められる国の基準が合致し、かつ国内の自動車メーカーも守ることのできる基準や試験方法が確立された状態です。そうすれば今回のような「不正」はなくなっていくでしょう。

また、今回、「不正」は5社で38車種が指摘されていますが、これが自動車の認証試験全体から見て、果たして多いのか少ないのか。そうした観点も必要になるはずです。

本来は、最終的に運転手や同乗者、あるいは歩行者などの安全が守られることに試験の目的があるわけですから、その手前で「差分」が見えたのだから「よかった」ともいえる。

しかし「不正発覚!」とだけ報じられ、それがすべて企業の責任だとなると、こうした「その先にある、本当に考えるべき」部分は理解されないままになってしまいます。

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堂々と、会社のために「不正」を働く

――「不正」という言葉が強すぎるのかもしれません。これまでのイメージでは、不正は「こっそり、意図的に、利益を水増しするなどのために」行われる不法行為、というイメージでした。

【中原】そうですね。これまでの「企業不正」というのは、明確な意図を持った人物が不正に関与し、それが組織全体に伝達されることで発生すると考えられてきました。

しかし実際には、そうした「危うさ」は実際に実行されるまでに何らかのストップがかかる一方、「(良かれと思ってやったことが)結果的に不正になってしまった」というケースは少なくないのです。

多くの人は、不正を働こうという意図はなく、堂々と、会社のためにやっている。堂々とやれることなので、特に誰かが指摘するものでもない。だから企業不祥事の会見で「誰も問題だと思わず常態化してきた」という発言が出る。

トヨタの件もそうですが、だからこそ多くの人が「不正」にかかわっており、不正を働く意図がないままに行ってきたことが、結果的として組織的な不正になってしまった。こうした観点から「不正」についての考え方をを見直してみるべきではないか、というのが本書の提案です。

これは社会学者のドナルド・パルマーの研究を参考にしたものなのですが、近年、世界的に注目されてきている考え方です。世界的な見方がどれだけ日本に適用できるかはわかりませんが、きちんと紹介しておくべきだと思っています。