上砂氏とシェールガスの出会いは06年。当時、住友商事はメキシコ湾で海上油田開発に参入。上砂氏は途中から現地事業会社の指揮を執るために赴任したが、この事業は残念ながら撤退が決定。海上油田に替わる開発案件を懸命に探す中、目に留まったのがシェールガスだった。

「米国の石油業界を注視していたら、動きが海から陸上へシフトしている。なぜ陸上にと疑問を感じて調べたら、当時日本では知られていなかった、シェールガスが浮かびあがったのです。陸上の資源開発は個人地権者相手に交渉するため手間がかかるといわれ、業界内の通例では外国企業は手を出しません。しかし調べると障壁はそれほど高くない。それだけではなく、調べれば調べるほどシェールガスは将来性を秘めた魅力的なビジネスであることがわかった。さっそく開発に向けてパートナー探しに奔走しました」

しかし開発への参画は叶わない。2つの意味で時期尚早だったのだ。

1つはパートナーと条件面で折り合えなかったこと。07年当時はガス価の相場が高く、パートナー企業に開発資金の余裕があったため交渉姿勢が強気で難航、収益性が高いエリアの権益を譲ろうとしなかった。

もう1つは、シェールガス革命の熱気が日本には伝わっていなかったこと。シェールガスの情報が圧倒的に不足する中、メキシコ湾開発から撤退する最中だったこともあり、本社が開発を決断しなかったのもやむをえないことだった。

「今振り返れば、案件にゴーサインが出なかった要因には、私が独りよがりだったこともありました。ほとんど1人で動いていて、人を巻き込む発想がなかった。大きなプロジェクトでは、営業部はもちろん管理部隊も一緒になって動く必要がある。みんなの理解を得られない中、1人で案件の素晴らしさを声高に唱えても、物事は動きません。

今になれば当たり前の話ですが、そのときはわかっているようでわかっていなかった。自分のラインの上席を説得することには一生懸命だったのですが、横の広がりがなかったというか……」

08年10月、メキシコ湾油田開発のための現地会社の清算が完了。失意のまま日本に戻った上砂氏は、その後、オランダ系石油開発会社の買収を手掛け、北海油田の権益獲得に成功する。

しかし、この間もシェールガスを忘れることはなかった。動きの速いエネルギー業界では1~2年現場を離れているとマーケットの顔ぶれが変わる。「このままではアメリカで築いた人脈が無駄になる」という焦りが常に頭をかすめていた。