「天然」の物質が商用冷媒の候補として研究されている

では、モントリオール議定書の採択と、その後の改正がなかったらいったいどうなっていたのだろう? 大気科学者のポール・A・ニューマンらは規制をせずに生産量が年率3%で増加した場合の未来をシミュレーションし、その最悪のシナリオを報告した。このまま生産量の増加が続けば、極地ではオゾン層の大規模な破壊が常態化し、紫外線が増加した結果、2060年には人口密度の高い北半球中緯度帯では夏の紅斑紫外線量(*肌に紅斑を生じさせる有害な紫外線量)が2倍以上になるだろう、と。

冷凍・冷蔵庫や空調など、クロロフルオロカーボン類を大量に使用する場でモントリオール議定書の規定に従うためには、当初、ハイドロクロロフルオロカーボンに切り替えればいいと考えられていた。ところが、ハイドロクロロフルオロカーボンは、人為的排出により地球温暖化を招く「温室効果ガス」の一種なのだ。評価期間100年の地球温暖化係数(GWP)で比較すると、二酸化炭素を1とした場合、ハイドロクロロフルオロカーボンの係数はなんと2000近い。

地球温暖化に対する警鐘が大きく鳴らされるなか、地球温暖化係数が低い流体を代替物とするしか策はなく、近年、商用冷媒の候補として研究されているのは、昔ながらのいわゆる「天然」の物質――二酸化炭素、アンモニア、炭化水素(エタン、プロパン、シクロプロパン)、ジメチルエーテル――や、一部のフッ素化アルカン(HFC)、フッ素化アルケン、含酸素化合物、窒素化合物、硫黄化合物などだ。

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イノベーションにおける予測不可能な失敗

ひとつだけ確実にわかっていることがある。クロロフルオロカーボン類が成層圏のオゾン層にとって脅威となったのは、イノベーションにおける、まったく予測不可能な失敗であったということだ。

よって、有鉛ガソリンやクロロフルオロカーボン冷媒の導入においてトマス・ミジリーが果たした役割に関して、ネット上ではあれこれ書かれているが、そうした批判は大げさであるばかりでなく、あきらかに不正確だ。「トマス・J・ミジリーは歴史上もっとも危険な発明家の1人と、現在では見なされている」といった投稿があるのだから。

都市部への無差別爆撃には、「空気より重い空飛ぶ機械」の発明とその大改造、空飛ぶ機械を動かすための液体燃料の抽出と精製、目的地に誘導するための電子ナビゲーションシステムの開発などが必要だった。また強力な爆発物や焼夷弾を利用した結果、前例がないほどの遠距離から破壊活動がおこなわれ、20世紀のあいだに数百万もの命を奪ったが、クロロフルオロカーボン類による即死の例はない(時間が経過してからの死亡例もほとんどないはずだ)。

それに、カール・ベンツ、ゴットリープ・ダイムラー、ヴィルヘルム・マイバッハらは、現代の自動車の前身となるものを発明したわけだが、だからといって、交通事故によって年間約120万人の死者がでている現状を、彼らのせいにすべきだろうか?