新たに開発された安全な冷媒「フロンガス」

ここに登場したのが、GMの研究所の所長チャールズ・ケタリングだ。彼は「冷蔵産業を発展させるには、新たな冷媒を開発するしかない」と考えていた。

(*研究所のメカニカル・エンジニアだった化学者の)トマス・ミジリーがケタリングに協力し、すぐれた冷媒の開発に取り組むことに同意した。彼(*ミジリー)の側近でフッ素を専門に研究していたアルバート・ヘンネは、塩素化合物の元素をフッ素に置き換えれば念願の冷媒を合成できるかもしれないと提案した。これに、やはり研究者のロバート・マクナリーが協力し、ジクロロジフルオロメタンというクロロフルオロカーボンの合成に初めて成功した。これはF12として知られ、〈フレオン〉という商標で販売されるようになった。

彼らはモルモットで一連の実験をおこない、この化合物の安全性を証明した。1930年8月、GMとデュポンはこの化合物を製造・販売する株式会社を共同で設立し、〈フレオン〉は1931年11月に米国特許を取得した。

5匹のモルモット
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クロロフルオロカーボン類(*フロンガス)の生産量は急増した。なかでもF11(トリクロロフルオロメタン)とF12(ジクロロジフルオロメタン)――のちにCFC-11とCFC-12またはR11とR12と呼ばれるようになった――の世界の年間生産量は、1934年の550トン未満から、1974年には81万2522トンに達して、ピークを迎えた。

フロンガスが成層圏に到達しているエビデンスが報告された

1974年、大気科学の研究者リチャード・ストラルスキーとラルフ・サイセローンは成層圏のオゾンを塩素酸化物が消滅させ、触媒反応サイクルがオゾン分子を分解している可能性があることを示した。

1975年、大気科学の研究者ロドルフ・ザンダーはクロロフルオロカーボン類の光分解の最終産物を特定し、クロロフルオロカーボン類が成層圏に到達しているという明確なエビデンスを初めて報告した。

アメリカ最大のクロロフルオロカーボン・メーカーだったデュポン社の決断には重い意味があった。早期の製造禁止を受け入れ、かなり速いスピードで代替製品を供給する役割を果たした。

そしてついに1987年、モントリオール議定書が採択され、当時、市場に流通していたおもな5種類のクロロフルオロカーボン類の生産を50%削減するよう要求した。また、その後の改正では、すべてのクロロフルオロカーボン類と数種類のハイドロクロロフルオロカーボンの段階的廃止を求めた。