世間の同情を集め、聖人として尊敬されるが、息子の気持ちは……

その後も、山口判事の死は話題でありつづけ、世間の同情を集め、「聖人」としてあがめられるほどになった。遺族に大金の香典が贈られたり、画家であった山口夫人の絵を最高裁判所が買い上げたりといったことが起こる。

1947年11月6日付朝日新聞

1982年には弁護士の山形道文氏が、山口判事の生涯を調べてまとめた『われ判事の職にあり』という本を出版している。そこに掲載された山口判事の長男の言葉が心に残った。

(※父親の山口判事は)とうとう一個の法律と一方的に心中してしまった自己陶酔型の利己主義者。
あの破滅的な飢餓のさなかで、一家の柱と頼む父に死なれてしまった。五歳と三歳の子を抱え、母はどうやって生き延びることができるだろう。父の実家から母の実家へ移り、そこで育ててもらわなければならなかったではないか。
死んでしまうことよりも、生きることの方が遙かに難かったといえる。「山口、お前のお父さんは偉い人だった。それなのに、なんだお前は」といわれもしたが、ではその父は、母と幼児を遺棄し、一体、どんな立派な義務を尽したということができるのか。
(山形道文『われ判事の職にあり』文藝春秋)
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