「このままでは死んでしまいます」という妻の訴えも無視
朝日新聞の記事の続きには、山口判事が倒れた後(地裁で倒れたというのは事実ではないとする見解もある)、絶対安静となって休職し、病床に着いてからも、ヤミの食料は受け入れなかったこと。妻が「判事なんて(※職業は)、ほんとうらめしい」と泣いたことなどが書かれている。
このニュースは、判事の殉職に近い死というショッキングな事件として日本中に衝撃を与えた。今風に言えば「自分に厳しすぎる裁判官がコンプライアンスを遵守して餓死した」ということになるだろうか。「虎に翼」では、花岡が「人としての正しさと司法の正しさがここまで乖離していくとは思いもしませんでした。でも、これが俺たちの仕事ですもんね」と語っていた。
時の首相・片山哲とその夫人もコメントを求められる騒ぎに
第一報の翌日、11月6日の朝日新聞には、時の首相・片山哲が山口判事の死についてコメントを求められ「きょうはかんべんしてくれ」と返えたことが報じられた。その妻、首相夫人は、以下のように語っている。
わたしのところも三食のヤミは絶対に致しておりませんが、ときどきみなさまが持って来て下さるものは頂いております。
(中略)
家庭を守る女性の立場としては、多少のゆとりを持って夫や子供の生命を守るべきだと考えます。畑の仕事を女の手で出来るだけやることなどでも大きな効果があります、奥さんにもう少し何かの工夫がなかったものでしょうか。
(1947年11月6日付、朝日新聞)
山口家の詳しい事情を知らないとはいえ、なんとか夫に食べさせたいと懸命に努力した山口夫人に対するコメントが、さすが上級国民といった感じだ。もっともこのコメントも誇張されている可能性がある。
他にも国会議員や司法省の人間にもコメントが求められている。新聞としては、山口判事の死をきっかけに、食糧難の現実とは矛盾する「食糧管理法」は悪法ではないかということを問いたかったようだ。つまり、彼の死は、「それを守って死ぬ人が出る法律は正しいのか」という究極の命題を突きつけたわけである。