暴君がついに“デビュー”
ところが一見穏やかに見える知多家だったが、家庭崩壊の亀裂は知多さんが生まれる前にすでに走り始めていた。
北海道出身の母親は知多さんの兄が生まれた頃、慣れない環境での生活に加え、初めての出産・子育てに疲れ、兄を愛することができず、ネグレクト気味になっていたのだ。
しかしその3年後に生まれた知多さんのことは、2人目ということもあり、スムーズに愛することができた。それは父親も同じだったようで、兄に対しては父親はどう接していいか分からなかったようだが、知多さんに対しては目に入れても痛くないほど溺愛した。仕事が休みの日には、知多さんと2人きりで遊びに行った。
そんな知多さんに対し、兄が苛立ちや羨望、憎しみなどの複雑な感情を抱くのは当然の成り行きだろう。
これは知多さんが母親から聞いた話だ。
知多さんがまだベビーベッドで寝ていた頃のこと。母親は1歳にも満たない知多さんと4歳にも満たない兄を家に残し、買い物に出かけた。
しばらくして母親が帰宅すると、ベッドで知多さんがギャン泣きしている。普段あまり泣かない子だった知多さんがギャン泣きしていることに、母親はとても慌て、オムツが濡れていないか、熱がないかを見ようとした。すると、服やオムツで隠れる部分にだけ、つねったような爪痕がびっしりとあり、赤くなっていたという。
「これが母から聞いた、兄の“デビュー戦”です。3〜4歳の頃から兄が僕に対して抱いていた憎しみの深さと、こんなエピソードをちょっとした笑い話かのように話す母に、僕は引きました」
地獄と化した日常
知多さんは小学校入学後、持病の喘息の悪化により入院した。母親はいつも病室で付き添ってくれていて、父親も頻繁に面会に来てくれた。やがて退院し、夏休みが始まると、知多家は父親の仕事の都合で別の県に引っ越すことに。
知多さんは驚いた程度だったが、兄は転校を嫌がって暴れた。それでも子どもではどうすることもできない。まだ1年生になったばかりの知多さんはすぐに新しい環境に馴染めたが、5年生の兄はうまくいかなかった。
そんな兄を心配した母親は、遊びに連れて行ったりゲームを買い与えたりと手を尽くした。だがその甲斐なく、兄は不登校になってしまう。
知多さんが小学校3年生になった頃、母親が製菓工場のパートで働き始め、家にいない時間が増えると、兄の知多さんに対する暴力が本格的に始まった。知多さんが学校から帰ってくると、いきなり殴りかかってくることは日常茶飯事。あまりの痛みにうずくまっていると、「立て!」と言いながら蹴られ、立つと殴られた。
「この日から僕の日常は地獄と化しました。兄の機嫌を探り、適度に殴られ、ヤバい日は徹底して逃げました。ただ、兄は絶対に顔は殴りませんでした。初めは理由もなく、ただ暴力を振るわれるだけでしたが、徐々に『俺を睨んだだろ』「親にチクっただろ』と、根の葉もない理由をつけられるようになっていきました」
1年経つ頃には、兄は暴力と恐怖で知多さんを支配していた。そのうちに兄は、「金を出せば殴らないけど、どうする?」という取引をけしかけるようになり、知多さんは暴力から逃れるために、お小遣いを節約した。