ポケモンGOの原型になったあるゲーム

組織責任を引き受け、ミーティングばかりになった仕事や、社内政治にも嫌気がさし、ハンケはGoogleの退社を決める。だが彼を引き留めて、Googleの中で社内スタートアップの会社を起業させ、最初にお金をだしたのはGoogle創業者のラリー・ペイジである。

そうして、1849年にゴールドラッシュで沸く人々を運んだ船の名前に由来するNiantic Labは、Googleの中で2010年に始まった。(2015年8月にGoogleから独立し、現在の社名Nianticに)

グーグルマップで世界的なサービスのコツをつかんだハンケは「現実世界のデータに基づいてゲームにしていく」というARゲームの発想に至った。

2012年11月に招待制のβ版から始まった『イングレス』はリアルタイムで進行する陣取りゲームで、今の『ポケモンGO』の原型になったものだ。それが真っ先に流行したのはアメリカではなかった。

2014年7月にiOS版がリリースされると、世界で最もユーザーが伸びたのは「日本」だった。

英語版のみではトップ20位にも入らなかった日本市場が、世界一サーバー負荷の高い(活動量が多い)場所となり、2014年12月にIngress史上最大のイベント「#Darsana XM Anomaly: Primary Site, Tokyo, JP」(ダルサナ東京)が開催された。

5000人のエージェント(ユーザー)が日比谷公園大音楽堂に集結。メディアアーティストのライゾマティクスがVJプレイを披露したり、現実の物理空間と仮想空間を融合させたイベントに発展していった。

イングレスは2014年文化庁メディア芸術祭大賞を受賞、2016年7月の「Aegis Nova東京」では1万人もの人が集合した。

異例のコラボが実現したワケ

ハンケは、東京が「世界有数の『イングレス』都市になった」と語ったという。そうしたARゲームの萌芽がみられた日本市場において、世界を代表するIPといえば「ポケモン」だ。

その接合はすぐに訪れる。きっかけは日本人エンジニアの発案によって、2014年4月1日に公開した「Googleマップポケモンチャレンジ」だった。グーグルマップを使って151種類のポケモンを捕まえろ! というエイプリルフールの企画だ。

写真=iStock.com/MasaPhoto
※写真はイメージです

企画したのは当時グーグル本社にいたエンジニアの野村達雄(2015年からNiantic入社)。「これはよい!」とそのアイデアを株式会社ポケモンにハンケが持ち込んだのが2014年5月。

株式会社ポケモン代表の石原恒和はすでにその時点で『イングレス』の高レベルユーザーだったこともあり、驚くほど速く話が進む。「ミーティングをはじめて5分もしないうちに、快諾のアンサーが返ってきました」とハンケは振り返る。【『ジョン・ハンケ 世界をめぐる冒険』(2017、星海社)より】

欧米企業と日本企業がゲーム分野でコラボする事例はとても少ない。さらに任天堂は保守的な部類に入る企業だ。そうした中でもポケモン、任天堂を巻き込んだこの動きがこれほどスピーディに進んだのは「フィロソフィーが合った」以外の要因が考えられない。

ディスプレイの中に閉じずに、ユーザーを外に飛び出させ、交換とバトルによって人と人をリアルにもつなごうというポケモンのフィロソフィーが、それまで20年近くずっとMMORPGから地図づくりをやってきたハンケの人生哲学と符号したのだ。