SF好きの少年がGoogleマップをつくるまで

1966年、テキサス州の人口1000人片田舎で生まれ育ったSF好きの少年ハンケは、高校時代にAtari400(1979年発売)を使って『スーパーマリオブラザーズ』的なゲームを作り雑誌社に200ドルで売ったり、大学時代にはプログラミング大会でテキサス州3位になるような実力の持ち主だった。

1989年に国務省外交局でミャンマーに赴任したのがキャリアのスタートで、5年後に帰国してMBAに通いながら小さなゲーム会社に就職。

すぐにMMO(多人数対戦)RPGのゲーム『Meridian59』というゲームを開発。開発チームごと、3DO(EA創業者が独立して作ったコンソールメーカー)に売却した。『Meridian59』は、『ウルティマオンライン』よりも1年早くMMORPGをスタートさせたゲームだった。

このゲームで「200人が同時にオンラインに集まった」感動がその後のハンケの冒険をすべて決定づけているように私は思う。これ以降の彼の作品、サービスは常にSF的で、時代を問わず、人々をリアルの場に集めて楽しませるものばかりだからだ。

ウェブブラウザ上での対戦プレイができるゲーム会社を立ち上げたが、こちらもeUniverseに2000年に売却。ここでハンケは衛星写真と地図をリンクさせる方法を考え、Keyholeという会社を設立した(名前は1970年代の有名なスパイ衛星からとっている)。

最初はあらゆる衛星画像をとってきて、それを縦、横、斜めにいろいろ動かすミドルウェアを作っていた会社で、ネットバブル崩壊の時期に資金ショートで危機的状況を迎えながら2004年にGoogleによって3500万ドル(当時のレートで約35億円)で買収、傘下に入ることになった。

シリコンバレーにあるGoogleの本社
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いまでは誰もが利用するサービスを次々開発

当時のGoogleはまだ未上場。「ほとんどだれもが、グーグルについてろくに知らなかった」状態だった。社内でマッサージやぜいたくな食事を提供している会社、というイメージしかなかった、とハンケは語っている。【ビル・キルデイ(著)、大熊希美(翻訳)『NEVER LOST AGAIN グーグルマップ誕生』(2018、TEC出版)より】

GoogleでVP(ヴァイスプレジデント)としてGoogleの役員になったハンケは、衛星写真を映像化するKeyholeと、別に買収した会社がもつマッピング技術を組み合わせ、2005年2月にグーグルマップ、6月にグーグルアース、2007年5月にグーグルストリートビューと次々にサービスを展開していく。

余談になるが、この時Google内では、新しいサービスの価格設定やビジネスモデルを試行錯誤したそうだ。それらを完全無料にし、API(システムやアプリケーションを連携し機能を拡張する仕組み)を公開して、グーグルマップ上でさまざまなサービスを自由に作れるようにしたのはGoogle創業者ラリー・ペイジの慧眼だった。

Googleによって地図はテック業界のバズワードとなり、2005~06年は「ロケーション」にまつわるサービスがどんどん生まれていった。

2013年時点でグーグルマップのAPIを使ったサイトは100万を超えた。例えば、飲食店を探す際に、マップ上で検索し、そこから交通サービスに繋がるようになるのも、こうした「無料でグーグルマップを開放する」アイデアが派生したからだ。われわれの日常習慣を変えるレベルにまで根付くことになった。

グーグルマップが急拡大するのは2007年6月のiPhoneの発売以降だ。スティーブ・ジョブスがじかに交渉し、iPhoneとスマホの浸透とともにグーグルマップは全世界向けサービスへと膨らんでいく。

ハンケ率いる30人から始まったこのプロジェクトは、彼がGoogleを離れる2010年には1000人を超える規模に膨らみ、サービスの利用者数はすでに世界で10億人が使っていた。