もともとの制度設計からは大きく外れた現状
労働者を対象にした年金制度は、1889年にドイツで宰相ビスマルクが制定した年金保険を起源とする。炭鉱労働者が退職後、塵肺などで働けずに生活困窮するのを救済する仕組みとして考えられた。もともと弱者救済を狙う社会保障がスタートで、その後「賦課方式」の保険制度になっていったのも、「保険」としての「共助」の色彩が強いのだ。決して自分の将来のために積み立てる「自助」の仕組みではない。
ところが、日本政府は長年、いかにも「自助」の仕組みのように説明し、掛け金(保険料)の引き上げを進めてきた。本来なら生活に困窮する人にだけ補償を与え、資産を持って困らない高齢者には支給しないというのが「保険」のあり方だが、今更そんな事を言い出したら反乱が起き、誰も保険料を支払わなくなって制度は崩壊するに違いない。
長寿社会になって長生きが当たり前の社会は喜ばしい。だが、65歳から年金をもらい95歳まで生きれば、30年間年金をもらい続けることになる。これはもともとの制度設計から大きく外れる。本来なら、財政の立て直しには支給開始年齢を70歳などに繰り下げるのが手っ取り早いし、そうするのが論理的なのだが、国民の理解を得るのは難しいだろう。
そうなると、結局は、インフレが大きく進む中で、年金支給額を抑えることで、実質的な支払額を抑えていくことになるのだろう。残念ながら「100歳まで安心」からはどんどんかけ離れていく。
公的年金だけでは生活できない時代がやってくる
では個人として生活防衛するにはどうするか。
自分自身の責任で「積み立てる」個人年金に加入するか、老後に備えて十分な財産を作り上げるしかない。政府が躍起になって「貯蓄から投資」に旗を振り、NISAなど税制恩典を与えてでも資産形成を後押しする背景には、早晩、公的年金だけでは生活できない時代がやってくると考えているからに違いないのだ。
税金と社会保険料を合わせた国民所得に対する比率、いわゆる「国民負担率」は上昇を続け、50%に近づいている。岸田文雄首相は企業業績の好調と賃上げによって「国民負担率」は下がると豪語しているが、賃金は物価上昇に追いついておらず、国民の負担感は増えている。そうした中で、年金掛け金の負担をさらに増やすことは政治的に難しいだろう。
一方で、十分な老後の資産を蓄えられなかった人たちへの老後の生活支援をどうしていくのかが大きな課題になるに違いない。現状の公的年金制度とは別枠で、本当に困窮している高齢者を救う「公助」の仕組みを今から強化しておく必要がありそうだ。いずれにせよ、100年安心と言われても、決して安心することなく、政府に頼らない老後を準備しておくべきだろう。