米国の知財弁護士でTSMCのCLOを12年務めた杜東佑(と・とうゆう)は、米国のエレクトロニクス技術専門メディア「EETimes」の取材を受けた際に、TSMCは2005年から、IBMのマイクロエレクトロニクス事業の買収を5度にわたり試みたと明かしている。

そのなかには、ニューヨークにあるIBMのウエハー工場の買収計画もあったが、台湾にソフトウェアに関する権利の侵害事例の記録があったという些細な理由で、米国防総省とIBMが高度な技術の流出を懸念し、結局は白紙になった。

杜東佑は、2005年からモリス・チャンと一緒に米国の製造拠点を探し始めた。当時検討していたIBMの工場には、ニューヨーク州の南に位置するイースト・フィッシュキルという集落の工場と、その近くのポキプシーという町の工場があった。

だがIBMとTSMCの交渉のなかで何が最大の障壁になっていたかというと、米国側が機密技術の外部流出を懸念していたことだった。

IBMの工場は米国防総省の下部組織の国防高等研究計画局(DARPA)の「Trusted Fabs(信頼できるファブ)」に指定されていたため、米軍から軍需用チップを受託製造できる権限を与えられていた。

よって、TSMCとの交渉中にIBMとDARPAは、こうした機密技術は彼らの同意がなければアジアに持ち出さないという確約をTSMCから是が非でも取り付けたかった。

杜東佑の話を聞く限り、当時の米国人の目には「台湾は中国である」と映っており、TSMCが5度交渉してもIBMの工場を買収できなかった大きな原因になっていたようだ。

IBMはその後、自社工場の継続を断念して米国の半導体メーカー複数社と交渉し、最終的に2014年10月、米国市場を主戦場とするグローバルファウンドリーズに売却した。

このニュースが報じられた翌日、モリス・チャンは台湾メディアの取材に対し、IBMと1年以上も前に交渉したが価格などで折り合いがつかず、合意には至らなかったと話している。

モリス・チャンは、「グローバルファウンドリーズはエンジニアを欲しがっていたし、技術的にもTSMCにかなり後れを取っていたため、IBMの人材と技術を吸収できるかどうかも大きな問題だった。よってTSMCに与える影響は小さい」との見方を示した。

林宏文(著)、野嶋剛(監修)、牧髙光里(翻訳)『TSMC 世界を動かすヒミツ』(CCCメディアハウス)

これについては、「ウォール・ストリート・ジャーナル」が2014年4月に早くも、複数の関係者の話として、TSMCはすでにIBMの工場の買収交渉を打ち切っており、そもそもTSMCはIBMの研究開発部門が欲しかっただけで、工場の生産ラインを増やすことにはあまり乗り気でなかったと報じている。

こうした経緯を見ると、2005年の時点ではIBMの工場の獲得に意欲を示していたTSMCが、なぜ2014年に買収対象をIBMの研究開発部門に絞ったのかを容易に推察できそうだ。

この間にTSMCはウエハー製造効率でもコスト面でもほとんどの企業を大きくリードし、技術の研究開発でも他社に先行し始めていたが、IBMには依然として研究開発で強みがあった。それがTSMCの欲していたリソースだったということだ。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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