失敗を使って問いを重ねると理解が進む

その時、私は「せっかく失敗したのだから、一緒に何が起きたのか、観察して楽しみましょう」と呼び掛ける。「ここはどうなっていますか?」と問いかけると、新人さんは見た通り「こうなっています」と答えてくれる。私は「おお、そうですね!」と嬉しそうに返事をする。何か見当違いのことを言っても否定せず、能動的に答えてくれたこと自体に驚き、喜ぶようにすると、相手も安心して発言するようになってくれる。

篠原信『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』(文響社)

そして「ではここは?」「なぜこうなったのか、仮説を立てられます?」などと、問いを重ねる。問われると、新人さんは見た通りに答えてくれる。問いかける際に「ここはこういう仕組みになっているんですけど、だとしたら、ここをこうしたらどうなると思います?」と、情報を加えながら問いかけると、不思議なもので、「答える」という能動性があるからか、こちらの提供した情報を頭に入れたうえで答えてくれる。

こうして問いを重ねると、目の前の「失敗」と呼ばれている現象について、いったい何が起きて、それはなぜ起きて、どうすれば解決するのか、という仮説まで思い浮かぶようになる。その上で「ではどうしたらいいと思います?」と最後に問うと、これまでの観察から十分な情報を得ているから、「こうしたらいいと思います」と妥当な答えを返してくれる。「では、やってみてください」というと、十分な理解の上で作業を進められる。

指示通りに動けて、自分の頭で考えて行動できるようになる

面白いことに、こうした「失敗の観察」を少し繰り返すだけで、以後、失敗してもパニックにならなくなる。失敗した時は何が起きたのか観察し、そこからとれるだけの情報を取得し、どんな仕組みなのかを推測し、どうすれば結果が改善するのか仮説を立てればいいのだ、ということが体感できるかららしい。このように、目の前の現象を観察する癖がつくと、こちらの指示が少々あいまいでも自分で観察して情報を補い、処理できるようになる。指示通りに動けて、「自分の頭で考えて行動する」。

1、2週間も指導をすると、「失敗を恐怖し、パニックに陥る」という症状からのリハビリが終わり、以後、自分で考えて行動してくれるスタッフに育つ。私の指示が曖昧過ぎて、どちらの意味か分からない場合も、「篠原さん、この作業はこの場合とあの場合の二通り考えられ、恐らくこっちだと思いますが、それでよかったでしょうか?」と訊いてくれる。私は「よく気がついてくれました、その通りです」と驚かされることがしばしば。