日本はアメリカのやり方に10年遅れで追従

【江夏】アメリカにサンフォード・ジャコービィという労使関係の歴史家がいますが、彼いわく、まさに日本とアメリカは実は近いと。アメリカも日本同様に、ナショナルレベルでの雇用社会の形成に先んじて企業共同体が発達し、社会による包摂機能を部分的に代替してきた国なんです。それは1900年を少し過ぎた頃の話で、職務ルールに基づく長期雇用慣行が第2次大戦後に確立しました。市場化が進むのは1980年代以降です。

人を雇うと、どうしてもさぼる人や、長く働いてほしいのにすぐに辞める人が出てくる。それを防ぐためには、労働者の貢献意欲を引き出しつつ、実際に貢献しているかどうかを組織的に監視する必要がある。そのためには安定的雇用関係の確立が重要で、アメリカ企業は労働者に対する内部昇進の道を用意しました。そして、雇用関係を明確化し、適材適所を実現するための基準として、ジョブという概念に着目しました。それらに付随して、食事や住居を会社が用意するといったことも見られました。

日本もこのアメリカのやり方に10年遅れくらいで従いました。両国の共通点はどちらも資本主義後発国であったことです。ファーストランナーがイギリスで、次いでフランス、遅れてアメリカ、ドイツ、日本というわけです。日独比較は今回は割愛します。

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アメリカを代表する大企業も終身雇用だった

【海老原】かつて、GEやGM、IBMといったアメリカを代表する大企業も終身雇用に近い仕組みでした。出世して経営陣にまで上り詰めるには、それこそ、30個くらいのジョブ階段を上っていく仕組みで、それは疑似的な年功給ともいえます。この構造を壊したのが1960年代に起きた公民権運動ですね。かつての年功システムでは、勤続の長い白人男性が上位層の多くを占めてしまい、それが人種・性差別と見なされたわけです。

【江夏】そうした社会的・法的圧力に加えて、戦後、急成長を遂げた日本企業がアメリカ市場を席巻し、アメリカの労働者の食いぶちを奪ったという現象も大きいはずです。今までのやり方を変えよう、となったわけです。この時点では、アメリカ以上に長期的な雇用関係や、小集団活動や能力評価を有する日本企業から学ぼうという流れもありました。

もうひとつ大きかったのは1980年代のレーガノミックスで新自由主義が台頭したことでしょう。株主主権が強まる中、伝統的な企業では雇用調整が大胆に行われ、同時期に伸長したIT企業では、実力主義が徹底され、内部昇進でじっくりキャリアを積んでいく仕組みがありませんでした。そして労働者は、常に自分の雇用の確保や転職の必要性を考えないといけなくなりました。

各企業の内部管理のために編み出されたジョブという仕組みは、こうした流れに適合的でした。「こんな仕事ができる人を募集している」「こんな仕事ができる力を持っている」という労働交換のための指標になっていったのです。歴史の意図せざる結果といえるでしょう。

しかも、新自由主義に染まった企業の中でも、留まって欲しい人材には留まってほしいから、人材の過剰流動性を低めつつ、一体感を醸成するために、社員の親睦会を開いたり、オフィスにレクリエーション施設を設けたりする、強い組織文化を持つ企業が現れたのです。