ちょっとした嘘を仕込んで、それを見破らせて、読者に「自分の方が作者より賢い」と思わせるのが上手な作家もいます。油断は禁物です。

とはいえ、四六時中、「この前提は何か」「ここにはどんな意味があるのか」と考え通しでは身が持ちません。ほとんどの場合、そこまでする必要はありません。

ただ、「今、私、説得されそうになっているな」「このまま丸め込まれそうだ」と感じたときには、「どうしてそんな話をするの?」と聞く勇気を持ってほしいと思います。

「語らないウソ」に注意したほうがいい

話している内容は嘘じゃないのに、その裏の、語らない部分に嘘を含む場合があります。

たとえば、どの政党も公約の中では都合の悪いことは一切言いません。子ども手当をやります、とは言うけれど、その財源の説明はしない。うやむやのままにしています。

何か良いことをすれば、どこかにしわ寄せがくるのは当然です。カネがない国ですから、カネを配るためには、どこかから集めて捻出しなければならない。それなのに、そこは語らずにいる。正直に話してしまうと、人気が落ちるかもしれない。ごまかそうと思うと嘘を約束することになる。だから、あえて言及しない。

小説でも、こういう設定はよくあります。誰かが、語らずにいる。一方で、よくしゃべる登場人物がいる。みんながおしゃべりに辟易へきえきして、沈黙が場を支配したという描写があったとします。

読者は、うるさくて面倒なおしゃべりのせいで、他の人は黙り込んでいるのだろうと思いますが、実は、意識的に黙っていたい人がまぎれ込んでいる。

嘘をつくぐらいなら黙っていようと思う場面は、日常でもよくあります。

だから、黙ったままにしているのは何かを察することも、嘘を見抜くのと同じくらい重要です。何を隠しているのかを探る。これは、非常に難しいことではありますが、頭の片隅に置いておいてください。

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みんなが騙されるポイントを小説で学ぶ

同一性の高い社会で空気を読むことを求められ続けると、違和感のスイッチが消えていきます。「それは違うんじゃないか」と抗議をしたところで、聞き入れてもらえることは少ない。余計なことは言わない方が無難だという実感は、あきらめを呼び、やがて無関心に繋がっていきます。

高度経済成長が背景にあって、黙って頑張っていれば努力が報われて給料も上がり豊かになれた時代ならそれでもよかったのですが、現代は、図々しい人がのし上がっていく時代です。無関心でいるのは「善」ではありません。

だからと言って、「一言申し上げたい」とやみくもに声をあげても、まともに相手にされません。「企業の論理はこうだから」「社会の常識だから」と言われてしまう。それでも負けずに問題提起をし続けるためには、相手を怒らせずに筋を通す、納得させるという力が必要です。