「おやじの気分」で物事が決まってしまうという身も蓋もない事実

「オジサンの気分で右往左往してしまうなんて、そんなものくだらない」
「偉そうなオジサンがなんでも適当に決めてしまう仕組み自体がおかしい」

こうした批判的意見もある。これまた一理あるだろう。

しかし残念ながら、世の中の多くの場所ではいまだ「おやじの気分」でだいたいのことが決まってしまう傾向があるのもまた身も蓋もない事実なのである。それこそ会社組織だけでなく、政治でも行政でも自治会でも教育機関でも同じようなものだ。この世の中のありとあらゆる領域では多かれ少なかれそこにいる偉いオジサンの「気分」によって大事な決定がしばしばくだされてしまうし、その決定によって末端の現場は右往左往するのである。

偉いオジサンの気分ひとつで生じた混乱に振り回されたりしわ寄せを食らったりするばかりではなく、その気分によって美味しい思いができるチャンスを増やすためにこそ、飲み会に参加することはきわめて有用なのだ。偉いオジサンの気分次第で損をするか得をするかは人それぞれだ。得をする確率を高めたいのであれば、飲み会に行くのが最善手であるということである。

“偉いオジサンの気分”とは無縁ではいられない

人間社会には往々にして、オジサンの気分によって大きく動いてしまう構造がある以上、それと完全にかかわらないで生きることは(そういう生き方を実現できればそれはそれで理想かもしれないが)きわめて難しい。オジサンの気分を跳ね返せる圧倒的な才能やスキルを持っている人ならともかく、我々は凡人だ。大なり小なり、私たちは偉いオジサンの気分とは無縁ではいられないのである。

どうせなら自分の「おぼえ」をよくしてあわよくば懐に入り込み、オジサンの何らかの気分が発生したとき、そのコンテクストをうまく操作できるようなポジションに将来的に就いてしまう強かさがあったほうが、きっと社会人生活も楽しくなる。いまの若い人に必要なのは、オジサンの存在を辟易して遠ざけるより、あえて懐に入って自分の道を切りひらこうとする、そうした強かなふるまいである。

写真=iStock.com/LeoPatrizi
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