偉い人の「声をかけてみるリスト」に入りやすくなる

それは端的にいえば「おぼえ」のよさである。

この「おぼえ」とは少し古風な言葉かもしれないが、わかりやすくいえば評判とか信任とか重用といった言葉の総称である。飲み会に参加すれば、目上・上役の人つまり会社の偉いオジサン連中から自分の顔とか名前とか為人ひととなりとかを、文字どおりの意味で「おぼえ」てもらうことができるのである。

「なんだよ、おぼえてもらえるだけかよ」と侮るべきではない。なぜなら、自分のことを「おぼえ」てくれたその偉いオジサンが新しい企画やプロジェクトを立ち上げたとき、そのメンバー編成の際にオジサンの脳内に出力される「声をかけてみるリスト」のなかに、なんとなく「おぼえ」ていたその若手社員の顔や名前がボヤ~と浮かび上がってリストインされる確率が高くなるからである。

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偉いオジサンは、一緒の部署でつねに同行してその働きぶりを知っているような緊密な間柄でもないかぎり、社内のある若手や中堅がどういう人でどういう能力を持っていてどういう働きをしているのかを往々にしてよく知らない。それもあって、意外と「ノリ」で人選してしまうことがある。

「いやいやいや、そんな適当な前時代的な方法で決めるんじゃないよ」――とツッコミたくなってしまうかもしれないが、しかし令和の時代だって「飲み会では好青年に見えたし、彼なら新規の客先に出してもなんとなくイケそう」くらいのふわっとした感じで決めてしまうことはそれなりにあったりするのだ。非科学的だとか非論理的だと言われてしまうかもしれないが、本当にそうなのだから仕方ない。

仕事に自信がある人こそ飲み会のコスパは高い

「普段の仕事より飲み会での態度がチャンスにつながるなんて馬鹿げている。公私混同だ」といった批判はたしかに一理あるとは思うが、しかし仕事ぶりに評価されるに足る自信がある人こそ、飲み会に参加して「おぼえ」を得ておくことのコスパは抜群なのである。たった5000円や3~4時間を惜しんだくらいで、その高い職務遂行能力を発揮できる舞台を逃してしまうのはあまりに勿体ない。

いずれにしても、偉いオジサンの「とりあえず声をかけてみるかリスト」に(たとえぼんやりでも)顔も名前も入らないのでは、チャンスが巡ってくる確率はかぎりなくゼロであることは事実だ。この事実を踏まえたうえで、どう行動するかは人それぞれの自由だ。飲み会に参加しないのも自由だし、参加するのも自由だ。選んだ自由によって結果もまたそれぞれ異なる。ただそれだけのことだ。

あるいは偉いオジサンの「おぼえ」を得られなかったとしても、同僚や仲間との「つながり」を得ることができる。それによって、自分がミスしてしまったときや困っているときに、周囲からのフォローを得られやすくもなる。さらに幹事を勤めれば「つながり」の恩恵はなおのこと強くなる。飲み会の幹事はだれだって他人に任せたいと思うし、そういう“しんがり”的な役割を引き受けてくれた人には、意識的か無意識的かは別として、人は「借り」を感じるからだ。