違和感やズレが「新鮮味」になる

僕の場合は、みんなが最新技術でハイクオリティな映像をつくっている中、あえて昭和のローカルCMのテイストやアナログ特撮を再現した映像をつくったりしています。その違和感やズレを、観た人は逆に新鮮に感じてくれるのです(この手法も、今ややる人が増えてしまって新鮮味は失われつつありますが……)。

そんな違和感やズレというノイズを自分の作品に取り入れるためには、みんなの興味のあるものしか流れてこないSNSのタイムラインを見ているだけでは難しいと思っています。

たとえば、本屋に行ってあえてまったく知らないジャンルの棚をのぞいてみるようなことや、まわりの人が観ていなさそうなジャンルの映画を進んで観てみるようなことが効果的です。そうすることで、本棚には石の図鑑や黒魔術の解説本などわけのわからないものが増えていきます。ロシアや東南アジアの古い映画なんかを観て混乱することも多々あります。

でも、そんな流行を無視した乱雑なインプットが、自分でもどう役立っているのかわからないまま、どこかで活きてくるものなのです。

「自分しかわからない」が観客の心をくすぐる

2022年に渋谷PARCOで、「大嘘博物館 カプセルトイ2億年の歴史」という、展示品のすべてが嘘でできた博物館を開催したことがあります。

「大嘘博物館」(渋谷PARCO、2022年)主催:ほぼ日/共催:キタンクラブ/企画・プロデュース:藤井亮[出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)]

このときは、過去の乱雑なインプットが「博物館」というフォーマットに収束し、一つのよくわからない体験に結びつくという貴重な経験をすることができました。

80年代のカルチャーや、妙なヘタウマ感の味のあるロマネスク美術、陰謀論の映像、古代遺跡から化石まで、今までの自分が興味を持ったものを無理やりカプセルトイに結びつけていったのです。

そんなニッチに向けた狭い表現をしていると、世間で話題にならないのでは? と疑問を覚えると思います。実際、僕もつくっている最中はいつも心配で冷や汗をかいているくらいです。

しかし実は、表現のターゲットや射程が狭かったり短かったりすればするほど、見ている側の「この良さをわかっているのは、自分しかいないのでは……?」という気持ちをくすぐり、王道のコンテンツよりもむしろ大きな熱量でSNSなどで語ってくれるような気がしています。