どれだけ理不尽でもネパールを出たい

こうして定期的に人材を回転させることで、一定のお金が供給される仕組みをつくり上げたのだ。だがコックにしてはたまったもんじゃない。

「カレー屋はネパールの貧困を固定化する装置になっているんですよ」

それでも、なのだ。こんなリスクや理不尽を負ってでも、ネパールを出たい。どんな形でもなんの仕事でもいいから、外国で稼ぎたい。そんな人たちがたくさんいる。一般的に貧しいとされる国に生まれ育ち、なおかつグローバル化とデジタル社会によって他国の生活を知ってしまった立場でないとわからない「お金」への強い渇望感が、彼らを突き動かしている。

日本人や、かつて日本にカレーを伝えたインド人たちは、食文化を広めたり自己実現のために料理を生業なりわいとしたのだろうが、いまの「インネパ」は違う。料理は生き抜くため、稼ぐための手段なのだ。

たまたま自分のまわりに日本のカレー屋へのツテを持つ人がいたからコックになったに過ぎない。それがマレーシアの建設業だったらそちらを選んでいたかもしれない。とにかく海外に出ないと、豊かになれない。ネパール人たちのそんな切実な思いが、日本のカレー屋大繁殖につながっていった。

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2015年頃から新規開業は厳しくチェックされるように

だからブローカーの存在も一概に否定はできない。豊かさへのきっかけを与えてくれる存在でもあるからだ。

はじめはコックとして搾取されながらもだんだんと要領を覚え日本になじみ、独立して成功する人も確かにいるのだ。やっぱりバグルン出身、「ラージャ」のディル・カトリさんも来日当初はひどく搾取されたひとりだ。彼の場合はネパール人ではなく、インドで働いているときにスカウトしてきたインド人オーナーに薄給で長時間労働を強いられた。そこを耐え抜き、複数店舗をマネージメントする社長へとのし上がったのだ。

「いまから思うとね、日本に呼んでくれてありがとうって気持ちもあるんだよ」

こうしていびつな形で増え続けた「インネパ」だが、2015年ごろに転機が訪れる。在職証明の偽造が横行していることに、ようやく入管が気づいたのだ。書類に記された住所を調べてみたらなにもなかったとか、国際電話をかけてみたらぜんぜん違う事務所だったとか、そんな事例がばんばん出てきたのだ。それからはネパール人コックに対する審査は厳しくなった。

だからいま5000軒ともいわれている「インネパ」は、実のところ頭打ちだ。急増にブレーキがかかっている。とりわけ外国人が飽和状態の東京では新規開業、出店は厳しくチェックされるといわれる。「技能」の在留資格が増えていないのは、ここに理由があったのだ。