釈迦牟尼だって文句を言われていた

ここで参考にしたいのが、原始経典に記された釈迦牟尼の言葉です。

何をしても、何かをしたといってある人は非難する。何もしなくても、何もしなかったといってある人が非難する。何かをしてもしなくても、非難する人は非難する。だから他者の声なんて気にせずに、自分の心と向き合いなさい。

同じような言葉を、みなさんも聞いたことがあるでしょう。私がこれに救われたのは、言葉の内容そのものよりも、これを言った人が釈迦牟尼であるという事実です。

あのお釈迦様でさえ、何かといっては文句を言われケチをつけられていたんだ。称賛しかされなかったのであれば、こんな言葉は出てきませんから。そう思えば、自分が文句を言われるのなんて当たり前のことだ、と思ったのです。

結局、釈迦牟尼の出した答えは「気にするな」でした。他者からの意見や批判は真摯に受け止めるべきですが、あなたの価値を決めるのはあなた自身なので、強く生きなさいということです。

何かをしても、しなくても、一定の確率で誰かから文句を言われるんだ、くらいに思っていればいいのです。

ただし、そのためには賢くなくてはいけません。だから仏教哲学を学ぶのですね。「俺イケてるし」と無知蒙昧むちもうまいな状態でいることとは違います。

言ってみれば、称賛も非難の裏返しです。称賛されたときは素直に喜べばいいでしょう。けれどその喜びのあまり、自己認識の軸足を自分から他者に移し替えてしまうと、自分という存在が足場から崩れ落ちてしまいかねません。褒められたりけなされたりするのは、そのときどきの状況でしかないのですから。

バズの病に取りつかれそうな人は、これを意識してみてください。

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SNSとうまくつき合うキーワードは「利他」

ここまでお話ししたように、「他者に承認させたい」という欲求が湧き上がってくるのは人間として自然なことです。それを踏まえたうえで、私たちはどう行動すればいいのでしょうか。

仏教的に考えると、その答えは「利他」です。

利他とは文字通り、他者の利益のことです。抜苦与楽ばっくよらくという言葉があるように、他者の苦しみを除き、喜びを与えるように振る舞えば、それは自分の喜びにもつながります。抜苦与楽の道は、自利と利他が一致している状態です。

なぜ、他者の喜びが自分の喜びになるのか。これまでお話ししてきたように、自分は他者の存在があってこそ成り立ちますから、「私」の利益と他者の利益は一致します。つまり、他者の利益を考えることが、自己の利益を考えることにもつながるのです。

うわべだけで相手を褒めるような一時的な幸せではなく、根源的な幸せを目指して行動すれば、社会そのものが良くなり、回りまわって自分も受益者になることができます。

これをSNSに当てはめると、発信をする際は、利他的な情報を心がければいいのです。たとえば本書は、ポッドキャスト番組がもとになっています。自分で言うのもなんですが、あの番組は利他的な発信だったと思います。