初年度年商4.5億円。売り上げは右肩上がりで推移

いよいよオープン。客は来るのか。不安が大きかったが、ふたを開けてみると駐車場の数が足りず、前面の国道には6km、2時間の渋滞が発生。全国ニュースになった。

テレビや雑誌などのメディアに積極的に露出し、意識的に話題性をつくってきた戦略が功を奏した、と森本さんは分析する。1年後にはレジ通過客数は40万人を突破。2年目の売り上げはやや減少したものの、週に一度の定休日を年2回に見直すことで立て直した。

コロナ禍では緊急事態宣言が発令された2カ月間のみ、テイクアウト部門と食堂部門を閉めた状態で、物販は続けた。しかし売り上げへの影響はほとんどなかったという。なぜなら、村の立地が“3密”にならない自然環境下のため、逆に遠方からの集客があったからだ。

「『大阪ナンバーの車が来ている。あんたらのせいでコロナが拡大したらどうすんの⁉』と電話を受けたこともありました。でも、道の駅の売り上げで生計を立てる村人の暮らしを守ることを優先しました。それが僕たち地域商社としての使命なので」

百貨店での催事(主に京都、大阪、東京)も、年3〜4回、積極的に出店する。特に、その場でつくって提供する村抹茶ソフトクリームが人気だ。

現在の商品数は、年間を通じて村茶ブランド商品だけで100種類以上(2024年2月現在)。なかでも、村抹茶ソフトクリームは1日最大1400本(年換算で約50万超本)、むらちゃパウンドケーキは年間7000個売れる看板商品に育った。むらちゃペットボトルは2年目で香港、シンガポールなど海外に渡り、南山城村の“広告塔”として活躍する。

撮影=野内菜々
重厚感ある村茶ブランドロゴ。かつての茶農家の販売用茶袋の「茶」の字をトレースして生まれた。先人の茶への誇りと歴史に敬意を表している。

出荷者約200人の存在もまた、道の駅にとって不可欠だ。2023年度の年商6億円のうち約3割の約2億円が出荷者商品の売り上げだからだ。茶の小売りでは、年間数百万円を販売する茶農家もいる。

茶農家にとっての繁忙期は、4月下旬から5月上旬に刈る一番茶と、6月中旬から7月上旬に刈る二番茶の時期だ。一般的にはこの時の収入が年収になる。ところが、道の駅で小売りを始めてからは、繁忙期外の秋冬に毎月まとまった収入が入るようになった。茶農家だけでなく、近隣農家にとっても非常に大きな変化をもたらしたという。

「小売りのメリットは、市場の買取価格でなく、自分たちが納得できる価格で販売できること。こんなところで茶なんか売れへんでと、かつては同業者にからかわれたこともありました。でも、道の駅が開業したらお客さんがたくさん手にしてくれて、売り上げが大幅にアップしました」(道の駅に出荷する某茶農家)

開業8年目は課題解決の年に

ゼロからスタートして約14年。村のお茶を目当てに遠くからわざわざ客が訪れる道の駅に成長した。

開業前にベースは出来上がったものの、メディアへの露出を増やし、作って売ることだけで精一杯の6年間だった。しかし、今後は今までのやり方だけでは売り上げは低迷するかもしれないと、森本さんは気を引き締める。

撮影=野内菜々
ユニフォームの背中には、「村」のしがらみを突破していく姿勢を表す会社のシンボルマーク。

「今後の大きなカギは、生産現場を知り、背景を語れるようなスタッフを育成することです。顧客目線での売り場や商品づくりはもちろんのこと、売り上げを支える出荷者と道の駅スタッフとの連携を、現在よりもっと向上させなければなりません」

「おらが村での、つちのうぶ」――。村で生まれて村で死ぬと決めた男は、これからも変わらず南山城村を背負って生きていく。

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