「私を当てないでください」という女子高生と母親

【事例2:私を当てないでくださいと訴える高校生】

高校一年生の女子生徒。授業で教科担任が順番に当てていき、その女子生徒も当てられたが答えられなかった。授業後、女子生徒が教科担任の前に来て「私を当てないでください」と訴えてくる。教科担任は、他の生徒も同じように当てているので一人だけ対応を変えるわけにはいかないこと、一人だけ当てないのはむしろ不自然になってしまうのではという懸念を伝える。女子生徒はその場では引き下がるが、その日の夕方、女子生徒の母親から学校に電話があり、「うちの子を当てないでください」と要求してくる。

こちらは高校生の事例ですが、先ほどの事例とほぼ同じ内容になっています。同じ内容であっても、年齢が上がるだけでずいぶんと印象が変わってくるのではないでしょうか。私が事例1のような小学生の「✓を付けられたくない」という反応に危惧を覚えるのは、そして、一歳過ぎという幼い頃から「世界からの押し返し」を重視するのは、高校生以降の年齢になっても「ネガティブな自分を認められない」という状態の人を見ることがあるためです。

写真=iStock.com/Xavier Arnau
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ネガティブな部分を認めるには「こころの強さ」が必要

「ネガティブな自分」に出会ったとき、それも「自分の一部だ」と認めるにはそれなりの「こころの強さ」が求められます(こうした「こころの強さ」を心理学では「自我強度」と呼んだりします)。この「こころの強さ」は、もともと備わった能力も影響しますが、小さい頃からその年齢に合わせて「心理的衝撃」を経験し、その「心理的衝撃」を身近な大人との関係の中で納めているという連続した体験群も重要になります。

「心理的衝撃」と聞くと大袈裟おおげさな印象を受けるかもしれませんが、たいしたことではありません。その年齢の子どもの大半がするような失敗を体験してもらうというだけのことです(例えば、よちよち歩きの子どもが転ぶような体験です)。事例2における「先生に当てられて答えられない」という状況は「その年齢の子どもが自然の流れで経験する心理的衝撃の一つ」だと言えるでしょう。