サイゼリヤの料理だと知らなかったからおいしいと思えた
食後に「黙っていたけど、これはサイゼリヤの料理ですよ。最後の晩餐だと思って……」と妻から告げられたとき、私は驚くと同時に、とてもうれしく思いました。
というのも、もしサイゼリヤの料理だと知っていたら、私はきっと「まずい」と言っていたからです。
驕ってはいけない、日々反省しなければならない。気を抜いてはいけない。だから、サイゼリヤの料理を「おいしい」と言ってはいけない。
私は日々そう自戒していたのです。でもあのときは、サイゼリヤの料理だと知らなかった。
60年以上サイゼリヤをやってきて、初めてまっさらな心で味わうことができ、本当においしいと思いました。「おいしい」「本物の味だ」と、口に出して言うことができました。
「こんなにおいしいなら、もっと安く、おいしくしたい!」
そんな思いがあふれ出し、私はそれまで以上に元気になったのでした。
サイゼリヤの料理であることを黙ってくれていた妻には、感謝しています。