なぜ、2部に落ちた日体大ラグビー部が即1部復帰できたか
他にもレスリング部との合同トレーニングやトレーナーをつけて科学的に分析してやるなど、練習内容も見直した。練習試合の数も増やした。
2023年、最大の目標だった一部復帰を果たした入れ替え戦の懇親会でキャプテンを含む部員は、「今年は楽しかったです」と言った。松瀬にとって走り切った一年間への最高の労いの言葉だった。自分が学生時代に宿敵・明治に勝った時とはまた違った種類の感動を覚えた。
現役時代の早稲田の同期には当時の大学ラグビーの人気絶頂期のスター選手がいた。その中で自身のポジションはフォワードのプロップ。スクラムの重責を担う屋台骨だが、チームの中では圧倒的に地味な存在だ。
部長という立場も裏方だ。戦術を練ることもない、技術指導もしない。ひたすら激務をこなす。還暦もとうに過ぎて、しんどい下働きをすることを厭う向きは多いはずだ。だが、松瀬は自分に言い聞かせるように言うのだ。
「僕のメンタリティに合ってるんですよ」
世田谷キャンパスのエントランスに「チャンスの像」と名付けられた銅像がある。ラグビー選手がパスを出そうとする瞬間を切りとったものだ。
「この像にはトライゲッターより、チャンスメーカーたれ、という言葉が重ねられていて、ラグビーだけではなくて、日体大の全体のアイデンティティを表しています」
この精神も自分に当てはまる、と松瀬は言うのだ。
24年度は週に10コマの講義を受け持ち、各20人の3、4年生のゼミも担当する。マスコミ経験者という人脈を生かし、ゼミは就活にも有利と評判で人気があるという。
教授という本職がありながら、「時間の9割がラグビー部の部長の仕事に割かれて、へとへとボロボロ。この1年で体重は10キロほど落ちた」と笑う。
だが本心は、リタイアする同期も多い中、新しいポジションに迎えられ、新しい出会いがあって新鮮な感動を味わっている。自分を頼ってくれる若者たちになんとか報いたい。
新シーズンの目標は大学選手権初戦突破だ。まずは同選手権出場。そのためには対抗戦グループで5位以内に入る必要がある。地力のある筑波大か慶応大に勝たないと難しい。
「一歩ずつ、上がっていけたら」
地道にサポートに徹したその先にある夢を勝手に想像してみる……それは帝京大と並ぶ超強豪である母校・早稲田を倒すこと、だろう。(文中敬称略)