テレビ局に残れば60歳で年収が3分の1になる
私は2012年から大学で非常勤講師を始めていた。ちょうど、教育のおもしろさにも目覚めていた。しかも、当時「教員募集中」であった本学の定年は70歳だ。いまはほとんどの大学が「65歳定年」にシフトしているなか、これは貴重な存在だ。70歳と言えば、ちょうど下の子が大学を卒業する年だ。「親の役目」を果たす節目としてはちょうどよいではないか。しかし、それらの事情を上回る大きな理由が、私にはあった。
近年、特に若い世代のクリエイターを中心に「一般常識」や「想像力」が欠如していると感じることが多くなった。それは「コンプライアンス」と呼ぶ以前のレベルの問題だった。そんな状況を少しでも"早い段階から"変えたいと強く思った。そのために、私の現場で得た経験などの「暗黙知」が役に立つと確信したのだ。
では、「辞めて収入はどうなったのか」ということだが、これは正直言って「下がった」。でも、このあと70歳まで働き続けると、テレビ局に65歳までいるより確実に「生涯賃金」は高くなる。
「早まるんじゃない」と止められた元フジ・吉野氏
『フジテレビはなぜ凋落したのか』(新潮新書)などの著書があり、現在、筑紫女学園大学教授の吉野嘉高氏は、2009年にフジテレビを退社した。現在のように「人材流出」が問題化するずいぶん前で、いわばテレビ局を自己都合退職した「ハシリ」だ。だが、年齢は40代中盤と、現在、流出している人材の年齢層と符合する。今回、吉野氏に取材をしたところ、当時は、テレビ局を辞めると言うと「早まるんじゃない」と言われたという。
それはそうだろう。吉野氏は社会部記者やニュース・情報番組のディレクター・プロデューサーを務めたほか、「めざましテレビ」で毎朝、新聞記事を題材としたニュース解説コーナーを担当していた。まだ世間には「テレビはメディアの王様」というイメージが残っている時代だったが、吉野氏は「なんかこれまでと雰囲気が違うぞ」という違和感を抱いていた。吉野氏は当時を振り返って語った。
「経済的に安定した生活は今後も続くだろうけれど、このままだと自分の人生を生き切ったとはいえないかもしれないな」という漠然とした焦燥感があった。
サラリーマンであるテレビ局員はトップに立たない限り、自分の仕事を選ぶことはできない。もちろん、仕事の裁量はある程度認められてはいるが、基本的には上から言われた仕事をこなすのがミッションだ。いわば「受動的な存在」であり、テレビ業界の慣習もあり自由にものを言えない。
年収は半分に落ち込んだ
それに比べて、大学教員は活躍の場を自分で選べたり開発したりすることができるのが魅力で、表現活動の自由度も高い。自分の問題意識をしっかりと持ちながら、外に向かって発信することができる。長年、社会に向けての情報発信に取り組んできた吉野氏らしい選択だ。
吉野氏の年収は、フジテレビを辞めて半分強にまで落ち込んだが、それ以上に得るものが多かったようだ。この吉野氏の例は、転職が“うまくいった”パターンだと言えるだろう。