クリエイターが制作現場にいられない
この人事システムの弊害はもう1つある。
「テレビ局に入って番組作りの腕を磨いてやる!」と意気込んで入社した社員が運よく制作現場に配属されたとしても、制作のイロハがわかってきたころに異動させられることになる。「出鼻をくじかれる」とはこのことで、現場で3年目というとちょうど下積みを経て、仕事を任されることも多くなり番組作りがおもしろくなってくるころである。
会社の人事命令に異を唱え、「現場にいたい」と主張する道もないわけではない。しかし、そうすると会社人としての人生からは遠ざかってゆく。いわゆる「出世コースからは外れる」というわけだ。
さらにここには、テレビ局に根深く残る「社内人事のバランス」という感情論が絡んでくる。テレビ局は入社したほとんどの者が制作現場には行けない。
なかには、入社してから退職するまで一度も現場を経験しないで終わる者もいる。ずっと経理や人事、総務といった管理部門で働く人もいる。もちろん、テレビ局は会社組織なのでそういった役割も必要だし重要だが、そんなセクションの者からすれば、制作現場は「憧れ」やもしかしたら「妬み」や「やっかみ」の対象になっていることが多い。
「外の世界」を求めるテレビマンの本音
私が旅番組をやっているころは、よく現場セクションではない同期の友人から「田淵はいいよなぁ、仕事で観光地に行けて、おいしいものを食べられて」と真顔で言われたものだった。当時ADだった私に、そんな余裕や暇があるわけがない。
だが、そういった不公平感を払拭するために、「現場=出世しにくい」「現場ではない=出世しやすい」という方程式を使って社内人事のバランスやコミュニティ内の整合性をとっているのである。
では、年齢を重ねるにつれて自分の力を十分に発揮できる社内の居場所を失ったクリエイターたちはどうすればよいのか。学生などの若者から見た魅力すら以前ほどにはなくなったテレビ局は社会的なステイタスを失い、プライドを保つ要素も見当たらない。そんなとき、ふと「外の世界のほうがよいのでは?」と思ったとしても不思議ではないだろう。
2023年6月、テレ東を辞めて制作会社「東京ビリビリ団」を設立した村上徹夫氏もそのひとりである。村上氏はテレ東途中入社組だ。「YOUは何しに日本へ?」をヒットさせた功績を認められて部長にまでなったが、あるとき「自分はこのままでいいんだろうか?」と思ったという。部長より上に行ける人間はひと握りだ。「管理能力」が第一に問われる風潮のなかで、自分は何のためにここに来たのか、と我に返った。彼の感覚は正しい。
年を取るにつれ、隅に追いやられてゆく感覚
「自分の力を発揮できる場はテレビだけではない。いや、むしろテレビ以外のほうが自由にできるし、力を十分に発揮できるのではないだろうか」と考える人材もいた。至極、当然である。
制作者という仕事を、志を持って全うしてきた人であればあるほど、管理職になって現場から外され、若い人たちのシフトや役割を決めたりすることで終わってゆく日々に虚しさを感じるのは当たり前だ。