どうせやるなら有名になりたい
当初、シツイさんは店の中で「チヨちゃん」という綽名で呼ばれていたが、やがて親方から「トクちゃん」と呼ばれるようになった。
「特別のトク。タオルを洗ったり店のガラスを拭いたり、とにかく細かく働いたんで、親方が特別扱いしてくれたんです。だから、トクちゃん」
なぜ、シツイさんはそんなに必死で働いたのか。
「全部、自分のためです。将来、床屋を開業するって決めていたし、どうせやるなら有名になりたかったから、床屋の仕事は全部覚えたほうがいいと思っていたんです。18、9になるとみんな一時は、他の仕事をやってみようかなと迷うものですが、私はぜんぜん迷わなかった。この道一本で通したんです」
お世話になった親方の元を離れがたく嘘の電報を…
吾嬬町の店には5年間奉公した。お礼奉公が1年残っていたが、親方は「トクちゃんの将来のためにも、少しでも早く他の店で修業した方がいい」とシツイさんの背中を押してくれた。しかし、親方に義理を感じていたシツイさんは、なかなかお店を離れることができない。
仕方なく、栃木の父親に「母が病気になったから帰ってこい」という嘘の電報を打ってもらった。すると、それを真に受けた親方は、実家の母親に缶詰、父親にはタバコを送ってくれたという。
「よけいに義理で(がんじがらめになって)どうにもならなかったですが、違う店で修業をするのも大切でしたからね」
どうにか吾嬬町の店を離脱すると、下町で数軒の床屋を渡り歩いて腕を上げた。シツイさんはその後、四谷見附の「ライト」という店に移っている。
「ずっと下町の工場街で仕事をしていたので、山の手でも仕事をしてみたいと思ったんです。山の手はお客さんの身のこなしも服装も垢抜けていましたね」
この「ライト」への移籍が、シツイさんの人生に激動の第二波をもたらすことになる。