「忖度の権化」とも呼ぶべきバーターというシステム。一見不必要で不純に思えるこの悪習も違った視点から観ると次のように考えられないだろうか。

テレビ番組は人間が作り出すものである。そしてそこには必ず人の「業」や「欲」が絡んでいる。だからこそ人間関係というものが重要になる。

つまり、バーターをしようがしまいが、いいキャスティングをできるということはその人間が優れた人間関係を築くことができているという証拠でもある。

「忖度」が効果的な武器になった

「テレビ=サービス業」と考えれば、「視聴者が喜ぶ」もの、「視聴者が望む」ものこそが正解だ。視聴者は誰しも豪華なキャスティングのドラマを見たいに違いない。いいキャスティングをして作品のクオリティを上げて、視聴者に喜んでもらうのに越したことはない。

テレビはやはり第一には「世間=視聴者」のためにあるべきだと、テレビから離れて改めて強く感じる。

昔、フジテレビのキャッチフレーズに「楽しくなければテレビじゃない」というのがあったが、これなどはその最たるものではないだろうか。

「楽しい」はまず創り手にとって番組を作っていて楽しくなければならないが、それは視聴者を楽しませるためである。そしてそれを突き詰めるためには手段を選ばないという「がむしゃらさ」や「ひたむきさ」が、かつてのテレビにはあった。それがテレビを活気づけてもいた。

田淵俊彦『混沌時代の新・テレビ論 ここまで明かすか! テレビ業界の真実』(ポプラ新書)

バーターも然り、忖度も然り、それらは「トレンド=視聴者が求めているもの」を的確に提示しようとする、テレビのサービス精神のあらわれなのである。

そしてそのことで結果的にクオリティがいいものが生まれ、視聴者にとってもメリットとなっていることが、テレビが文化であることの証なのではないだろうか。

また事務所への忖度をおこなうことで関係が強固になってゆけば、それはテレビが配信に勝てる優位性にもなるだろう。忖度もうまく使えば効果的な武器となる。

忖度から生まれるのは、デメリットだけではないのである。

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