「家を2つに分ける」という発想
在宅医療の問題もある。昭和の昔、まだ高齢者の人口が少なく国の財政に余裕があった時代は、体調を少し崩しただけでもすぐさま入院の許可がおりた。病院を家代わりに使えたのである。しかし、国をあげて医療費削減の方向に邁進している現在は、入院のハードルがとても高い。
これからの医療・介護は嫌でも自宅(あるいは施設)が舞台になるが、30代で建てた家にその任を負わせるのは少々つらい。元気な人向けに建てられた家と医療・介護が必要な人向けの家では最適な間取りも異なるからだ。
家族が介護するにせよ、外部からヘルパーを呼ぶにせよ、ベッドは絶対1階にあったほうがいい。ベッドから近い位置に水廻りがあると助かる。車椅子を常用するならそれ相応のスペースも必要になる。高齢者には高齢者が暮らしやすい住まいというものが確実に存在するのだ。
60~70年分の人生を1つの家で支え切れないとなると、「家を2つに分ける」という発想が生まれる。
30~60歳くらいまでの家と、60~90歳くらいまでの家。人生の残り3分の2以降を、2つの家で住み分けるという考え方だ。
では、60~90歳くらいまでの家はどうあるべきか。
真っ先に思いつくのは、それまで住んでいた自宅をリフォームする方法だ。大規模なリフォームによって高齢者仕様の家につくり変えれば、のちの何十年かを安心して暮らせる。
あるいは、60歳まで住んだ自宅を貸したり売ったりして、マンションに住み替えるという方法もある。階段もなく庭もないマンションの1室は高齢者の身体にとても優しい。私の知り合いにも、定年前後のタイミングでマンションに住み替えた夫婦がたくさんいる。
ただし、この方法が使えるのは戸建ての賃貸や売却が容易な地域に限られる。田舎のほうでは現実的な選択肢とはいえないかもしれない。
リフォーム、住み替えに代わる第3の方法
ならば、こんな方法はどうだろう。
神奈川県小田原市在住の建築家・湯山重行さんは、リフォーム、住み替えに代わる、終の住処・第3の方法を提案している。2016年に出版された湯山さんの著書がそれだ。
『60歳で家を建てる』(毎日新聞出版)――高齢者に合わせた住まいを60歳というタイミングで建てたらどうか、と湯川さんは提案した。
既存の戸建てを取り壊して建て替えてもいいし、それまで暮らしていた場所とは別の場所に新たに建ててもいい。方法はいくつか考えられるが、いずれにしろ高齢者夫婦が暮らしやすい住まいとして、湯山さんは「小ぶりな平屋」を推奨している。
広さはマンションの1室と同じ程度、それに屋根とテラスと庭をくっつけた平屋である。
最近は建材費も人件費も上昇傾向にあるが、予算的には1000万円代後半で十分可能なプロジェクトだという(延床面積80平米程度)。
この提案は、すぐさま大きな反響を巻き起こした。同書の出版を記念して開かれた家づくりセミナーに、60歳前後の人々が大挙して押しかけたのである。
セミナーを企画したのは某全国紙が運営する住宅展示場。当初は1会場のみの予定だったが、受講者の予約を開始すると座席はすぐに埋まった。
気をよくして会場を増やすと、これまたすぐに満席に。「60歳で家を建てるセミナー」はあれよあれよという間に規模が広がり、湯山さんは系列の住宅展示場を北から南まで行脚することになった。
「東京の追加講演もすでにソールドアウトです」
電話の向こうで冗談めかして話す湯山さんは、じつにいきいきとしてうれしそうだった。