ジャニーさんの愛撫はまさに生き地獄だった
「16歳のおれは女を知る前に男と性体験をしてしまったのだった。喜劇とも悲劇ともつかない複雑な心境に陥った。おれにもしホモの性癖があるならば、また多少なりとも両刀遣いの素質があるのならば、あるいはこのジャニーさんとのホモ体験も我慢できたのかもしれない。しかしその気がまったくないおれには毎夜のジャニーさんの愛撫はまさに生き地獄だった。嫌ならばさっさと部屋から出てしまえばいい、何度そう思ったことか。しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった。」
これが書かれた1988年秋は、LGBTQの呼称と概念がまだ不分明だったために、文中でも不正確な表現を用いているが、時代性を考慮し、そのままの記述にしておく。
ぬいぐるみを愛撫するようにまさぐってくる
「ジャニー喜多川氏の求愛は毎夜続いた。おんな(原文ママ)のからだを知る前におれはいやという程男同士のからだを味わうはめになってしまったのだ。
部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる。
『疲れてるの? じゃあ肩をもんであげようね』
最初は抵抗するおれだが、半分はあきらめの境地、半分はこれもアイドルになるためとわりきってジャニーさんに身をまかせるのだ。」
北公次は具体的な行為を率直に語った。
長年の憂鬱を吹き払うかのように。
合宿所名義の部屋でジャニー喜多川氏と共に夜を過ごす生活はそれからも続いた。
いやでいやで仕方がなかったのに、ジャニーさんに身をまかせなければならなかった自分に自己嫌悪を感じたこともしばしばだった。