「お一人さま→孤独→不幸」は短絡的すぎる

人間は、孤独な存在であると同時に、社会的な存在なのです。

物理学者 アインシュタイン

お盆や年末年始に、帰省や旅行のニュースが流れます。駅や空港で、「どこに行くのですか」と聞かれて、「おじいちゃんのところ」などと子供が答えます。帰ってきた子供に「面白かった?」と聞くと、「魚を取ったりして楽しかった」などと笑顔を見せます。

毎年恒例の光景ですが、「子供」は常に幼児か、小学校低学年です。

つまり、中高校生が盆暮れに親と旅行することはまずないのです。部活や受験で忙しかったり、親と一緒に行動するのを面倒くさがるようになるからです。

人は結婚していても、していなくても、子供がいても、いなくても、いつかは一人になります。「結婚して子供がいれば、一人にはならないだろう」というのは希望的観測です。

現代では、子供がいても親のもとに寄りつかないようになっています。子供は、面倒くさい親との関係を避けるようになっているのです。

「子供が訪ねてこない」と嘆く親が非常に多くなっています。

ただし、お一人さま→孤独→不幸という図式は、あまりに短絡たんらく的です。そんな図式で老後を考えてしまうのは、不幸の要因になります。

たわいない雑談にも大きな価値を見い出す

私は、一人になったら小さなことに喜びを持つようにするのがいいと考えています。

たとえば、私の経験では、かなり高齢になっても、自分で料理はできるものです。何を買い、どう調理して食べるかも重要な喜びになります。

あるいは、趣味を喜びにする人がいます。デイサービスに通う知人女性は、趣味のトランプや麻雀で楽しんでいるようです。よいことだと思います。

しかし、高齢になるにつれて、仲間と一緒に遊ぶことができにくくなります。目が悪くなったり、耳が遠くなったり、足が痛み出したりするのが避けられないからです。

そうなると、もう喜びはなくなるのでしょうか。そんなことはありません。

友人や知人が、「最近どうですか」と電話してきて、「ありがとうございます。目がだいぶ悪くなっていますが、なんとかがんばっています」と答えるようなことだけで、十分な喜びになります。

定期的に連絡できる相手がいれば、最高です。たわいない雑談でいいのです。

「今日はこんなことがあった。明日はこんなことをする」などと話し合える人がいるだけで、心豊かに生きていけます。

「子供さえ電話をくれないのに、そんな相手ができるとは思えない」と言う人がいるでしょうが、そんなこともないのです。

これからは、非常に多くの人が一人暮らしをするようになり、孤独を恐れるようになります。

ですから、心を開いて話しかければ、昔の友人、同級生、同僚から、最近知り合った人まで、男女を問わず、必ず喜んで応えてくれるのです。連絡したりされたりすることが、お互いの支えになるのです。

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