「晩年になっても孤独にならない人生」は自分で選べる

くり返しますが、孤独とは一人でいるということではないのです。最近の社会では、誰もが一人になりがちです。

しかし、連絡すれば話せる人がいるなら、孤独ではありません。

監獄の独房に入っている人は孤独です。しかし、一人で自分の部屋にいる人は、誰かに連絡しようと思えばできますし、会いに行きたければ出かけられます。つまり、孤独ではないのです。

遺産の問題でもめて口もきかなくなった兄弟姉妹とか、離婚話がもつれて相手をののしり合うかつての夫婦なども、孤独ではないのです。

喧嘩をする高齢の夫婦
写真=iStock.com/imtmphoto
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ただし、ものすごく不幸です。

孤独ではないが不幸であるという状態なのです。

「晩年に一人暮らしになりたくない」と思っても、それは自分では決められません。

しかし、「晩年になっても孤独にならない人生」は、自分で選ぶことができると思っています。

人とつながる小さな努力は、年配者にこそ重要である。

自分のまわりに壁を築かないようにしましょう。

「もう」を増やし、「もっと」を減らしていく

老人が落ち込むその病気は、貪欲どんよくである。

詩人 ミルトン

若い頃は、何もせずに時間を過ごすことに苦痛を感じるものです。年を取ると、さらに、何もせずにいると孤独を感じるようになります。

そこで、時間を埋めるために何かをしようとしますが、その時、「もっと、もっと」という貪欲に陥らないように注意すべきです。

人間は年を取ると、体力、気力が衰えて、欲望のおもむくままに動けなくなります。「もうこのへんでよしとしよう」と思い始めます。年齢が私たちを中庸ちゅうように落ち着かせてくれるとも考えられるのです。

一方、年を取っても、欲はなかなか衰えません。

そのため、まだ儲ける力があれば「もっと儲けたい」、社会的地位があれば「もっと不動にしたい」、権力があれば「もっと制覇したい」と思うものです。

「もうこのへんで」と思う一方で、「もっと、もっと」と欲するのが人間なのです。