「晩年になっても孤独にならない人生」は自分で選べる
くり返しますが、孤独とは一人でいるということではないのです。最近の社会では、誰もが一人になりがちです。
しかし、連絡すれば話せる人がいるなら、孤独ではありません。
監獄の独房に入っている人は孤独です。しかし、一人で自分の部屋にいる人は、誰かに連絡しようと思えばできますし、会いに行きたければ出かけられます。つまり、孤独ではないのです。
遺産の問題でもめて口もきかなくなった兄弟姉妹とか、離婚話がもつれて相手をののしり合うかつての夫婦なども、孤独ではないのです。
ただし、ものすごく不幸です。
孤独ではないが不幸であるという状態なのです。
「晩年に一人暮らしになりたくない」と思っても、それは自分では決められません。
しかし、「晩年になっても孤独にならない人生」は、自分で選ぶことができると思っています。
人とつながる小さな努力は、年配者にこそ重要である。
自分のまわりに壁を築かないようにしましょう。
「もう」を増やし、「もっと」を減らしていく
老人が落ち込むその病気は、貪欲である。
詩人 ミルトン
若い頃は、何もせずに時間を過ごすことに苦痛を感じるものです。年を取ると、さらに、何もせずにいると孤独を感じるようになります。
そこで、時間を埋めるために何かをしようとしますが、その時、「もっと、もっと」という貪欲に陥らないように注意すべきです。
人間は年を取ると、体力、気力が衰えて、欲望のおもむくままに動けなくなります。「もうこのへんでよしとしよう」と思い始めます。年齢が私たちを中庸に落ち着かせてくれるとも考えられるのです。
一方、年を取っても、欲はなかなか衰えません。
そのため、まだ儲ける力があれば「もっと儲けたい」、社会的地位があれば「もっと不動にしたい」、権力があれば「もっと制覇したい」と思うものです。
「もうこのへんで」と思う一方で、「もっと、もっと」と欲するのが人間なのです。