孔子「満ちて覆らないものはない」
中国の修養書『菜根譚』に、欹器という銅器の記述があります。中が空だと傾き、水を半分くらい入れるとまっすぐに立ち、水が満杯になるとひっくり返るようになったうつわです。
孔子が魯の国の廟でこの欹器に目を止め、弟子に水を注がせてみました。すると確かに、満杯になったとたんひっくり返って、水は全部こぼれてしまったのです。
孔子は、「満ちて覆らないものはない」と慨嘆したといいます。
つまり、「満ちた」「できあがった」と思ったらダメになるし、得たものも失うことになる、というのです。
古来、中国は争いが絶えない社会でした。国内部の叛乱、隣国からの攻撃、異民族の侵入などにさらされ、安定した時代は短かったともいえます。
さらに、自分の所属社会でも、出世競争や家の間の争いが激しく、いつ足をすくわれるかわからないのが普通でした。
このため、中国には「満ちれば欠ける」「目立つな」「油断は禁物」といった戒めの言葉が数多くあります。欹器の話も、無欲と強欲のどちらにも偏らない中庸の大切さを教えているのでしょう。
欲望には際限がありません。欲に任せて、年寄りの冷や水的な行動をするのは、危険だと思います。欹器のようにひっくり返りかねません。
無欲と強欲の、どちらにも偏らない。
何事も六~七分をよしとしましょう。
成功者ほどリタイア後の孤独感は強い
人はいくつになっても、どれほど成功していても、他人に認めてもらうことに飢えている。
人生コーチ ステファン・ポーラン
私たちは、人々に忘れられていくのを悲しく思います。
たとえば、年を取って社会の第一線から遠ざかると、「自分はもう忘れられたのだ。誰からも相手にされないのだ」という思いが急に強まり、非常な孤独を感じます。
皮肉なことに、業績をあげた人、業界や社会で名が通るようになった人ほど、リタイア後の孤独感は強くなります。
映画『アバウト・シュミット』に、ジャック・ニコルソンの定年パーティの場面があります。ニコルソンの後任者は「彼がいたから、わが社は発展した。私も見習います」などと賞賛します。
ところが、ニコルソンはうっかり翌日も出社してしまいます。すると、後任者は当惑した感じです。
「わからないことはない?」と聞いても、「大丈夫です」とけんもほろろで、ニコルソンは、もう自分の出る幕はないことを痛感して引き下がるのです。