大谷翔平選手を打ち取った三浦大輔元投手の“スローボール”

昆虫は動くものに敏感な一方、動かないものに対しては鈍感である。そのため、ゆっくりとゆっくりと近づけば、昆虫に気がつかれることなく捕らえることができるのである。

「スピード」に対抗するもっとも強力な手段は、「のろさ」だったのだ。まさに逆転の発想である。つまり、その「のろさ」こそがスローロリスの武器なのだ。

思い出すのは、横浜ベイスターズの、三浦大輔元投手だ。

舞台は、選り抜きの選手がそろうオールスターゲーム。相手はその後、大リーグで活躍することになる大谷翔平選手だ。大谷選手は球界最速の一六〇キロメートルを超えるスピードボールを投げる。そして、大谷選手は投手だけではなく、バッターとしても強打者である。「この大谷選手をバッターに迎えて、三浦選手はどのようなボールを投げるだろう」と、誰もが息を飲んだ。

このとき三浦選手が投げたのが、計測不能なほど遅い超スローボールである。スピードでは大谷選手にはかなわない、そうであるとすれば誰よりも遅いボールを投げようと考えたのだ。そしてその遅いボールで見事に大谷選手をピッチャーゴロに打ち取った。

スピードボールだけが誰にも負けないボールではない。誰よりも遅いボールを投げることも、誰にも負けないボールなのだ。もちろん、誰よりも遅いボールを投げることも簡単なことではない。三浦選手はこの対戦のためにひそかに練習を積んでいたことは言うまでもない。

誰にも負けない「のろさ」こそが、誰にも負けない「強さ」になる

動きがスローであれば、肉食獣に見つかりにくいという利点もある。ただし、見つかったら一巻の終わりである。スローロリスは逃げることができないのだ。

スローロリスは、そのための準備も怠らない。じつは、スローロリスはひじの内側に毒腺を持つ。しかもその毒は唾液と混ざるとさらに強力になると言う。この毒で敵から身を守っているのである。

稲垣栄洋『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? 生き物の個性と進化のふしぎ』(ちくまプリマー新書)

それだけではない。毒ガエルや毛虫のように、毒を持つ生き物は、自分を目立たせるような色をしていることが多い。ふつうの生物は目立たないようにして身を守っている。一方、毒を持つ生き物は、自らの存在を目立たせることで、誤って食べられることのないようにしているのである。

じつはスローロリスの顔の模様も毒があることを誇示しているのではないかと考えられている。スローロリスにとって、スローであることは、武器である。

誰にも負けない「のろさ」こそが、誰にも負けない「強さ」なのだ。他の生き物たちがスピードを競い合って進化すればするほど、その武器は輝きを増す。

何でも速ければいいというものではない。
スピードを競えばいいというわけではない。

だからね、動きのスローなスローロリスも、そのままでいいんだよ。

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