「あなたも天孫か!」とあっさり降伏
ところが、ヤマトの王ニギハヤヒは「あなたも天孫か! 同胞ではないか!」とあっさり降伏して、ヤマトを譲ってしまいました。
最後まで徹底抗戦を続けたナガスネヒコは、主君のニギハヤヒが「止めよ」と命じても従わないので、斬られてしまいました。なんとも微妙な結末です。こうして勝者となったイワレビコが、橿原宮で初代天皇として即位しました。
最近、盾形の大きな鏡が発掘されて、話題になった富雄丸山古墳(奈良市)。この「富雄」という名称ですが、調べてみると面白いことがわかりました。最後まで抵抗したナガスネヒコの名前は、「トミノナガスネヒコ」といいます。
つまり、「富雄」とはナガスネヒコの本拠地だったのです。弥生時代の人と推定されるナガスネヒコ本人の、一族の墓かもしれません。
神話に記された「多民族国家」日本
敗北者ナガスネヒコの子孫は、実は日本各地に散っています。
神武天皇との戦いに敗れた後、東北地方に逃げ込んだのが、ナガスネヒコの弟ともいわれるアビヒコ(安日彦)だという伝承もあります。彼の末裔は東北で勢力を伸ばし、平安時代には岩手県を中心に半ば独立国家を築いた安倍氏として知られています。
安倍氏は平安後期に朝廷に逆らい、滅ぼされました(前九年の役)。この時に捕えられた安倍宗任という武将が京都まで連行され、九州に追放されました。その後、山口県に移った彼の子孫が、安倍晋三元首相の一族です。ですから、安倍一族の祖先はナガスネヒコということになります。二千年の時を超えて、政権を取り戻したわけです。
一方、前九年の役で敗れ、北方へ逃げた安倍氏の少年が津軽(青森県)で生き残り、やがて「安藤」と名前を変えます。この津軽安藤氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地で勢力を誇った武士一族です。
当時の日本最大の港は九州の博多でしたが、それに匹敵する港が青森の十三湊でした。安藤氏はその港を押さえ、今のロシア領ウラジオストクや樺太の先住民(女真族)とも日本海交易を行っていました。この地盤を蠣崎氏が引き継ぎ、江戸時代に松前藩となるわけですが、安藤氏も元をたどればナガスネヒコに行きつくのです。
東北や北海道の人たちには、縄文系のDNAが色濃く残っています。同じことは沖縄の人たちにもいえます。九州から瀬戸内、近畿地方は弥生系、大陸系のDNAが強く発現します。神話とDNAからわかるように、日本は多様なルーツを持つ多民族国家なのです。