アメリカのレスラーから「自己満足の試合をするな」

自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うか。

基本的にはこれもすべてのビジネスに通じる考え方だよね。たとえばデザイナーで商業デザイナーと芸術家デザイナーがいたとしよう。芸術家デザイナーは評価は関係ないんだよね。

たぶん物書きなんかもそうだと思うけど、自分で書きたいものを書いている人は、どこに出すとかという設定じゃなくて自分の表現を形として残したい。でもビジネスをやっている以上はそこにはお客さんがあり、必ず“評価”を受けるから。

俺の中にも、若い頃は自分が思うような試合ができていない、前座選手だから評価されない、どうすればいいのかわからないという葛藤があった。

その点、アメリカのレスラーたちは客や同僚のレスラーからズバって言われるよね。ジャックオフしていた。つまり自己満足の試合なんてするなよと。

アメリカではウエートレスもエンターテイナーだよ。自分を見せながらその場を楽しくつくるマインドが根づいている。彼らにくらべたら、日本は人を喜ばせるという文化はそこまで成熟していないのかもしれないね。

プロレスでいうと興行論と道場論。そこが若い頃の俺らにはわからなくて。道場論を持っていないと日本人はダメだなんて言われたものだ。でも道場論だけでやっていたら興行ではない。

そこを上手にブレンドして、お客さんを喜ばせるイベントにつくりあげたのが、UWF系の人たちだ。もともと道場でやっていたような異種格闘技の交流会が興行になっていって大ブレイクした。

相手の欲求に寄り添ってから、自分の色を出していく

俺もここぞというおいしい場面で、客が喜ぶようなマイクアピールや立ち居ふるまいをするのが苦手。やっとできるようになってきたのが、やっぱりnWo JAPANになってからかな。それまではおいしいのが目の前にあれば単においしく食べればいいのに、「ただおいしく食べるだけじゃ当たり前すぎるな」という感覚だった。

G1クライマックス初優勝(1991年)ではまだ全然。「当たり前すぎることは言いたくない」なんて、それこそジャックオフ状態で、せっかくのチャンスに反応できなかった。

蝶野正洋『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)

メインイベントとか大きな興行のときほど、その当たり前をお客さんの前でまずやらなきゃいけない。さらにそこに何かオリジナリティーを足すことができて、初めて一流になれる。

でも、ペーペーの頃はその当たり前がなんか照れちゃうんだよ。

当たり前のうれしい、おいしい、という反応を飛ばして「うーん」と考えてるから「あいつどうしたんだ? 今食ったのはうまかったのか、まずかったのか? どっちなんだ?」と見てるお客さんもどう反応していいかわからない。

相手の「これが見たい」「これがほしい」に、まずは寄り添ってみる。自分の「こうしたい」を出すのはそのあと。これって、すべてのビジネスや人づきあいに通じると思う。

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