僕が尊敬する経営者のひとりに松下電器産業創業者の松下幸之助さんがいます。500万部超のロングセラー『道をひらく』(PHP研究所)には松下さん自身が長い時間をかけて練り上げてきた言葉の数々が紹介されています。

目次を見ると「素直に生きる」「志を立てよう」……と、小学校の教員が児童に諭すような言葉が並び、人生や仕事でのさまざまな局面や苦難の場面でどう対処することが望ましいかが平易な表現でつづられています。

読み手からすると「まあ、そうだよね」という反応になりがちなのですが、短い文章の中で選ばれている言葉や言い回しには本当に迫力があります。あるとき、なぜこれほどまでに説得力があるのかを探るべく、松下さんの評伝『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』(新潮文庫)を読みました。すると、そこには人間・松下幸之助の負の側面も描かれていたのです。

実はお妾さんがずっといて、共に事業をつくってきた奥様をないがしろにしたこと、経営者としてはある意味健全とはいえ儲けに対して尋常ならざる執着があったこと、時代が変わっていっても過去の成功パターンに執着してどうしても重要な意思決定ができなかったこと、さらに側近社員との確執や自分の子供に会社を継がせたいが、上場企業のためにそう簡単にいかず迷走したこと……。極めて人間くさい松下さんの姿が見えてきたわけです。

最初に『道をひらく』を読んでいた身としてはこの本の読後の感想は「どこが素直な心なのか」とツッコミをいれたくなるような内容です。ところが、僕はこの本を読んだことで逆にますます松下さんへの尊敬の念を強くしました。あれほど偉大な方でも自分の中に大きな矛盾を抱えている。そういう自分だからこそ、本当に気持ちを込めて念じるように「素直な心が大切だ」と説いた。そうやって絞り出した原理原則の言葉だからこそ底力があり、世の中の人々の心に訴えることができたのではないかと思うんです。読者の方におすすめしたいのは、上記2冊をセットで読むこと。読めば松下さんは超人でも聖人でもなく、僕らと同じ人間であり、苦悩や葛藤と格闘した先にこそ、「道はひらく」のだと腹落ちします。

僕も還暦を過ぎ、同年代のビジネスパーソンの中には働き続ける人もいれば、リタイアする人もいます。そうした定年前後や老後の生き様に感銘を受けた方のひとりに俳優の高峰秀子さんがいます。5歳で子役としてデビューし、『二十四の瞳』『浮雲』など300本以上の映画に出演した昭和期の大スターで、俊逸なエッセイストでもありました。いわば大御所で周囲が何でも言うことを聞いてくれ、本人も全能感を持ってワガママに振る舞っても不思議はありませんが、仕事場での無遅刻・無欠勤を貫き、監督の指示通りに演技し“我”を出すことはありませんでした。飾りすぎないこと、背伸びしないことをモットーとしていた高峰さんはこんな言葉を残しています。「引退です、なんていうのはおこがましい。そのうちだれからも必要とされなくなるのだから、そうしたら煙のように消えてなくなればいいじゃない」

これこそが僕の理想の仕事の終わり方です。以前は、引退のタイミングを自分で決めて、それ以降は仕事をしないというイメージを持っていましたが、僕のような仕事では、引退は自分で決めるまでもなく、お客さまが決めてくれる。世の中から相手にされなくなるときがいつか必ずやってくる。そのときが訪れたら、あがくことはせず、きれいにフェイドアウトしようと心に決めているのは、この高峰さんの言葉が胸に刻まれているからです。

高齢になればなるほど人間のレベルに差が出る

僕が考える「人生の勝利者」とは

もうじき老年期の入り口に立とうとしている僕が今、興味があるのは年齢が少し上の70代世代の思考と行動です。

中でも気になるのが、テレビプロデューサーのテリー伊藤さん。その言動は時に型破りなところがあるように見えて、実はやることなすことに原理原則がはっきりしているのです。松下幸之助さんではありませんが、長い時間をかけて練り上げた独自の価値基準に忠実な教養人とお見受けします。『老後論』(竹書房)はテリーさんが70歳の時に執筆した本です。「この期に及んでまだ幸せになりたいか?」という痛快な副題で、文中には心から共感できるフレーズがちりばめられていました。例えば、「老人になって残っているのは『感性』だ」という部分。健康や体力など、いろいろなものが衰え消えていくなかで、感性だけはますます研ぎ澄まされる。初老の僕にもその感覚がなんとなくわかるのです。

その本にはテリーさん自身があこがれ尊敬している先輩の名前も出てきます。往年のスター井上順さんに関しては、テレビの通販番組に出演している姿を見て、使い回しの安っぽいセットの前で商品を売り込むトークをしながら、求められている役割を軽やかにこなしている。その肩の力が抜けた感じがたまらなくカッコよく「人生の勝利者である」と語っています。

テリーさんは「現役のときもほどほどに幸せだったくせに、リタイアしてからもっと幸せになろうとするのは潔くなくてカッコ悪い」といった趣旨も述べているのですが、老後は、前出の感性に加えて、この肩の力の抜けや、潔さがますます重要な意味を持つのではないか、と僕は考えています。一方で強く思うのは、人は70代、80代と高齢になればなるほど露骨なまでに人間のレベルに差が出るということ。年を重ねていくといよいよ知性の勝負になり、高齢化問題の最終的な解は教養にあるように感じられるのです。それまでの蓄積の有無が否応なく試される。その意味で、僕はまだまだ精進が必要なのかな、と肝に銘じる日々です。

(文・構成=大塚常好)
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