小さなものをあえてそばに置くことの意義

編み物がすべてを解決してくれると言いたいわけではない。レイシズムを終わらせることはないし、ウイルスをやっつけることも、うつ病を打ち負かすこともない。公平な社会をつくりだすこともなければ、気候変動をやわらげることもないし、破壊された大きなものを回復させることもない。そんなことをするには小さすぎる。

あまりにも小さくて、意味があるとは思えない。

そして、それがわたしの言いたいことでもある。

小さなものをあえてそばに置くことで、大きなことへ対処しやすくなることがある。それをわたしは理解できるようになった。すべてが大きく見え、恐ろしくて乗りこえがたいと感じはじめたとき。感じすぎ、考えすぎて、見すぎるようになったとき。そんなときには、小さなものを目指せばいいと学んだ。全国的な大惨事と悲運のほかは頭が何も理解できない日々、“わたしにはできない”という感覚のせいで身動きが取れずに心がかき乱される日々には、編み針を手にとり、両手に主導権を譲る。カチカチと静かに音を刻む両手に、つらい場所から抜けだす手助けをしてもらう。

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“目を立てる”“目を止める”

編み物では、新しい作品に取りかかるときに“目を立てる”。作品が完成すると“目を止める”。このふたつの動きは、どちらも信じられないほどの満足感を与えてくれる――自分で制御できて終わりがあるものの最初と最後。いつでもずっと混沌としていて完成することがないように思える世界で、達成感を与えてくれる。

状況が手に負えないと感じはじめたら、反対の方向へすすんでみるといい――小さなもののほうへ。考えを整理しなおすのに役立つものや、しばらく専念して満足感を得られるちょっとしたものを探す。テレビの前に受け身で座っていたり、スマートフォンをスクロールしたりするのは、そこには入らない。能動的な何か、頭を使って身体も使う何かを見つけてほしい。プロセスに没頭してほしい。そして、嵐から一時的に逃げることを自分に許してほしい。