ドナルド・トランプは困難を乗りこえられる人物ではない

全国大会の演説を考えるのにしばらく行き詰まっていたけれど、ようやく自分が話したいことがわかった。考えをことばにして何度か推敲すいこうし、八月はじめのある日、小さなレンタルスペースに腰を落ちつけて演説を録音した。見守るのはたった数人。ビデオカメラの暗いレンズを見すえ、わたしの国にいちばん伝えたかったことを伝えた。わたしたちが失ったものと、まだ取り戻せるものについて、悲しみと情熱をこめて話した。

ドナルド・トランプは、この国と世界に降りかかっている困難を乗りこえられる人物ではない。それをできるかぎり率直に語った。他者への共感力エンパシーをもち、憎しみと不寛容に抵抗することが大切だと話して、みんな投票してほしいと呼びかけた。

ある意味ではシンプルなメッセージだ。でも同時に、それまでのわたしの演説のなかでいちばん激しいものにもなった。

聴衆が目の前にいない状態で大きな演説をするのも、初めての経験だった。ステージも、鳴り響く拍手も、天井から降る紙吹雪も、終わったあとに交わすハグもない。二〇二〇年にはいろいろなことがそうだったけど、何もかもが奇妙で、少しさみしかった。でもその夜、ベッドに入るときには、暗い場所をけだして、与えられた機会を活かすことができたと感じていた。

自分の存在の絶対的な中心から語るときの、すさまじいまでの明瞭めいりょうさ。それをこれまでになく経験したのだと思う。

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編み物がなければここまでたどり着けなかった

たぶんこんなことを言うのはおかしいのだけど、じっとしていることを強いられた期間と、編み物に見いだした心の安定がなければ、そこまでたどり着けたかわからない。もう一度大きなことを考えるには、小さなことをしなければならなかった。起こっていることすべてのとてつもなさに動揺していたわたしには、よきこと、シンプルなこと、やり遂げられることを取り戻すために自分の手が必要だった。それには実際、大きな意義があった。

いまは編み物をしながら母と電話で話したり、オフィスにいるチームとZoom会議をしたり、夏の午後に友人たちと裏庭のテラスで話したりする。編み物のおかげで、夕方のニュースを見るストレスが少し減った。一日のなかの特定の時間帯があまりさみしくなくなって、将来のことをもっと合理的に考えられるようになった。